北海道の旅の終わりに
昨年9月に起こった
北海道胆振東部地震の被災地
厚真町を訪ねました。
案内してくださったのは、
炊き出しのプロフェッショナル
災害ボランティア団体
のやんじー&アグネス。
二人は、震災当日 9月6日の夜には
鵡川(むかわ)町に入り(自衛隊より早かった!そう)
その日には、
もう300食分のおむすびを炊き出しし
それから4か月にわたり 厚真、鵡川町などで
28000食もの炊き出しをされ、
現在も厚真町に滞在して 災害支援をされています。
ボランティア歴42年!
雲仙普賢岳、東北、熊本、など、あらゆる被災地で
長期にわたって(東北は3年も!)炊き出しを
続けてきた やんじー
”やる気
本気
根気 があればなんでもできる。
願えば 必ずかなうんだよ”
経験と実績に裏打ちされた言葉は
まるでご神託のように私には聞こえました。
見える食べ物というものを届けてこられた
お二人の後に私が厚真町に訪れたのは
ミキに載せられた祈りを届けるため。
厚真神社とやんじーたちの
厚真町のお家のお庭の桜の木に
ミキを持ってお祈りさせて頂きました。
まずは 厚真神社から
震災で鳥居や灯篭が壊れ
宮司さん達も仮設住宅に住まわざるをえなかったそう。
ミキを置いてお祈りすると風がそよぎ
樹々がざわめき、応えてくれました。
まるで ”ようこそ遠くから来てくれましたね”
って言ってるみたいに
厚真神社の境内には エゾフクロウさんが住んでいて
私達が訪れたときにも いました!
お尻しか見えないのが残念(´;ω;`)でしたが
でもかわいい💛
神社にエゾフクロウの写真ハガキや
フクロウおみくじが売られています。
買うと神社の復興支援になるので
(一緒に写っているのは 宮司の娘さんです)
旭川→旭岳→旭川→帯広→札幌と廻った
北海道の旅もここで終わり。
旭川のアから 厚真町のアへ
アから始まり、アで終わる。
ミキは、お米とサツマイモという見えるものを
菌と祈りといういう見えないものが発酵させる
いのちの飲み物であり、
大地のスピリットたちの乗り物であり
遠い先人たちが私たちに残してくれた
贈り物でもある。
アグネスと私は、
2010年 世界先住民のシャーマンのおばあちゃんの
祈りの集い、”13人グランマザー会議 奄美”の時に
知り合った仲。
あの時も 奄美に未曽有の豪雨があり
おばあちゃん達は奄美に入れず
霧島と奄美の2か所で祈りの環を作りました。
その時いらっしゃる皆さんを迎えるために
作ったのがミキ。
霧島にいらした方々にも飲んで頂きたくて
フェリーに載せて ミキを送りました。
想えば、あの時からミキの旅ははじまっていたんだ!
アグネスと私は同じ想いで
一緒に 桜の樹の下でミキを捧げお祈り
アグネスがムックリを弾いてくれ
私は島の言葉で奄美の祝い唄を歌いました。
”この土地に お祝いの唄を
歌ってあげましょう
これから先
この土地には 良いことばかりが続きます。”
っていう意味の歌詞。
復興には、見える力も見えない力も必要。
見えるご飯がある程度行き渡ったこれからが
本当に祈りの力が必要となる。
人間の復興だけでなく
そこに住んでいるすべての生き物たち
自然界に向けて
祈りを届ける
その象徴として 私はミキを運んだ
今回北海道で一緒にミキを作ってくださった方々の
祈りだけでなく
13人グランマザー会議の
先住民の方々のお祈り
そこから私がかかわったすべての人
それぞれの土地のスピリットたちの祈り
そして日本の先住民の土地である
奄美のスピリットを
ミキを通して アイヌの地に届けた
アイヌの名前ニタイレラ(=森の風)を持つ
アグネスと一緒に
ミキの伝道師とは
ミキという見えるものに込められた
天 地 人の祈りを 届ける人
(2010年 13人グランマザー会議 奄美 )
あの時の祈りが
年月を経て
ここまで届いたことで
また新しく何かが始まったような気がします。
この祈りが入ったミキを持って
私は 福岡たまち ぢん社(仮)に帰り
また祈りの環を広げようと思います。
とうとがなし(奄美の感謝と祈りの言葉)









