と言われたことがある。 w
10年くらい前、当時通っていた心理学の学校の、女友達に。
「まおちゃんは いつもニコニコ笑って
『一緒に学んでいる仲間、みんなが好きだ

』とか言ってるけど。
・・・・そんな訳、あるかー

」と。
失礼な言い方に聞こえるが、
言われた私はホッとした記憶がある。
腹が立たないどころか
自分のことを分かってもらった気がして、
その人のことが大好きになったものだ。


学校は楽しくて、好きな仲間はたくさんいたけれど、
「そんな訳あるか」という言葉通り
実は、苦手な人もたくさんいた。
彼女は見抜いていたのだ。 お見事


「・・・嫌いな人?いなくてよ、おーほほほ!!」(爆)

当時、私は苦手な人にこそ頑張って話しかけていた。
それは私の中で、
「誰かを嫌ったりする」のがタブーだったから。 同時に、
「誰かに嫌われる私」もタブーだった。
だから、心理学を駆使して
嫌い、嫌われる理由を何とかして探ろうとしていた (爆)。
でも、私が欲しかった「嫌い、嫌われる理由」は・・・・。
なーんにも、でてこなかった

(爆)何にも、でてこなかったけど。
でも 気づいたことならある。 それは、
嫌ったっていいじゃない。
嫌われたっていいじゃない。
ということ。
そして、
「それに『理由』なんてなくていいじゃない」。
ということ。

理由なく、嫌っていいのニャ?!

心理学やセラピー好きのあるあるとして、
「潜在意識でどう感じているから、
この問題は起こるのか?!」となんでも考えたがる、
というのがある(笑)
問題を解決するために 、
意識の中をこねくり回し「理由」を探すのだ。 (笑)
ところが今回見つけた新たなワザは、
「『理由』なんてなくていいじゃない」。
・・・。
え、何? 適当?
自分と向き合う責任を放棄するの?!

と、
何らかの「理由」が絶対欲しかった
今までの私なら、キレそうな考え方だけど。
これで心がふわ~
っと軽くなったんだから、 オドロキ

「どうでもよくないこと」、と同じくらい
「どうでもいいこと」、もあるみたいだ。
双方になーんのトラブルもなくたって、
嫌い、嫌われることはあるのだ。
ざらに、あるのだ!(笑)
もちろん、嫌いな人なんていない方がいい。
みんなのことを、大好きでいたい私は健在だ。
でも嫌い嫌われることを一切認めないのは、
あまりに不自然なうえ、不自由だ。
当然あること、大前提だ、 という気持ちでいよう

なんか、そういう考え方になってきている。
嫌いなものは嫌いでいいじゃない。
「どうして嫌いなんだろう」ってそんなとこ、
掘り下げなくていいじゃない。
「嫌い」を認めたら見えてくる「好き」が、
ある。
私は、そちらのほうを、大切にしたい。

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