ドラマの中から社会を視ることで人間や今を考える | 結婚をみんなで一緒に考えよう!学んでみよう!

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~結婚教育研究家棚橋美枝子がお届けする大切な結婚のお話~

結婚教育の棚橋美枝子です。



実は、このドラマを私も見ていました。

近頃、ドラマの最後に「潔く」終わることに目がいきます。


このドラマ、尾高(右男性)の妻が子どもを尾高のもとに置いて去りますが、ここで主人公ケイトと尾高の関係に結婚という選択は始まりませんでした。お話の詳細は長濱さんの記事をご覧ください。


また、こちらのドラマ「トップナイフ」では
実母・天海祐希のもとを訪ねてきた娘の「一緒にここにいたい」という要求に 対し実母は、「現実から逃げないこと」を教えます。結果、納得した娘は「さよなら」という言葉を清々しく伝えて実母のもとを去ります。母娘ともに葛藤を抱きながらもやはり、このシーンも潔くでした。


また、過去のドラマになりますが、こちらの凪のお暇でも
主人公・凪は自分を好きだという2人の男性のどちらも選ばず自分ひとりで生きる道を潔く選択します。


こんなドラマもありました。
自分の死期を知った男性が、遺す娘の将来を案じ偽装再婚をするのですが、その男性の死後も遺された娘と強く生きていく様を主人公綾瀬はるかが、これまた潔く伝えています。


どのドラマも決して同じではありませんが、女子が潔く前を向いて生きていることや、子どもの存在や家族というものの前にひとりひとりの個のあり方が重視されているということに視点がいきます。


家族というのは尊い稀有な縁のつながりではありますが、それが、もはや第一重要課題なのではなく、個のあり方の集合体の結果として家族は存在するものだと考えますがいかがでしょうか。


個々に立つ力がないと依存的な関係を生み出し、実は縛る者と縛られる者が存在しかねません。


個は、時に家族を捨てる道を選ぶこともある。
尾高の妻は、出演場面こそ多くはありませんでしたが、夫に子どもを託し離婚という選択をすること。こういう離婚は実際に少なくありませんが、父子で生きる道をこのようにあからさまに表現したドラマを私は知りません。


天海祐希演じる主人公が、母親としてというよりもドクターとしての道を選択すること。これも母親神話を脱出しているように感じました。


凪のお暇の主人公も支配する母親との関係を断つことにより、一人で前に歩み出します。


綾瀬はるかは、偽装結婚を容認し、他人の子どもであるにもかかわらず愛ある人生を子どもに提供していきます。


なぜ、潔く感じたのか?
ドロドロした情ではなく、個が自分の満足や納得のいく人生を生きているからではないか?


家族や夫婦という単位、もちろん親子という単位ではなく、『個』がいかによりよく生きるのか?ここに大きなポイントがあります。


『個』の立てる力さえあれば、血の繋がりに固執しないでも我々は家族のように生きることができるのではないでしょうか。


そして、『個』の立てる力とはどんなことが必要なのでしょう。


今は多種多様な生き方が出来る時代です。
伝統的家族形成意識に縛られることなく、そして逆に縛ることなく、自分の作る社会の中で、2親等(生命保険の受取人となれる枠)以外のところに、本当に「家族のような他人を持つ」ことが出来るのか?とても大切なことだと考えています。


家族という枠で、外と内を分けることではなく、もっと大きな繋がりの中で「自分」として、生きることの可能性や選択を我々は学び取る必要があるのかもしれません。


ドラマはTVerでご覧になれます。
ドラマの中には学ぶべき社会がある、そう思いながら、このドラマひとつひとつに隠されたメッセージを考えています。


また、長濱さんとドラマ談義を楽しみにしています。