子どもが起こしたことで
親が何かに気づくことが
多々あるなぁ。
って子育てしながら実感してて。
いやむしろ
子どもを通して、自分が持ってる
思い込みとか、すでに要らないはずの
価値観とかに気付けたりとか
気持ちを伝えるのが
もんの凄く下手すぎて
怒りまくってるとか
もーそういうのに、何度も何度も
向き合わざるを得なくて
キツイけど、そこを抜けたら
なんでか知らんけど
楽に生きられるようになる。
って妙な感覚だけはあって。
それを、何度も繰り返すうちに
段々と確信になってきて
もう向き合うしかないように
出来てるんだなぁ。って観念して。
観念したはずなのに
また全力で抵抗しちゃったりね。
それは、私の周りの人も
同じように感じていることも多いよね。
きっと、このブログを読んでくれてる
あなたも同じだよね。
でもさ、私もさ
子どもの問題を自分の問題として
取り上げてしまって
「あなたは、私が守ってあげる」
とか
「あなたは可哀想なんだから。
優しくされて当たり前で
あなたの要求は、全てのまれるべき。」
なんてことを
子ども伝えてしまったこともあって
被害者や弱者の立場を武器にする方法を
教えてしまったりしてね。
本当は、弱者になんてならなくても
そんな武器を使わなくても
あなたは、周りと対話できるし
自分の思いも周りの人の思いも
大切にできるやり方を模索する時間も
方法もたくさんあって
体験出来るはずなのに
その機会を失ってしまう。
私もかつて
DVの被害者だったことがある。
その時はさ、まったく気づかないんだけど
その立場って本当に
甘い甘い蜜なんだよ。
殴られてるって話をすれば
注目されて、優しくして貰える。
暴力を振るった次の日の彼の優しさは
私が弱い立場だから向けられる訳で
でも、その優しさがないと
自分はやっていけない。と思い込んでる。
うん、私はあの時、そんな状態だった。
今なら、それが変なのは分かるけど
あの時の私は
自分を保つのに、それが必要だった。
だからね、それがとても
強力な武器なような気がするけど
その武器を使ってるうちは
なんだかね、ずっと満たされない。
いつかこの立場がなくなるんじゃないか。
いつか見捨てられるんじゃないか。
ってずっと怯え続けて
その武器を使い続けないと
立っていられなくなってしまうんだ。
もうさ、それ要らんくない![]()
少しずつでいいからさ
一緒に、その武器下ろしていこうよ。
おろしたらね、なんかね
違う景色が、チラッと見えるから。
「あれ、もしかしたら
こっちの方が平穏なの
」
って
確かに、自分の弱い部分や
さらけ出したくない心の内を
柔らかいまんま
傷つきやすいまんま
伝えることもあるけれど
意外とみんな、そこ受け取ってくれるよ。
一緒に、そこから
踏み出そうよ。
痛いけど、辛いけど
その先に、心地よい仲間が居て
一緒に喜び合っていけるのなら
その痛みも、どうってことない気がしない![]()
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