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私が美容部員になるまでとなってからのおはなし
もともと、国内化粧品メーカーの美容部員でした。
中途採用で入社して、約10年働きました。
その私が、美容部員になるまでと、なってからのおはなしを
ちょっとずつ書いていきたいなと思います。
私が今の私になるまでのストーリー
今回も子育てとの両立のおはなし。
どんどん両立できなくなっていき、とうとう病んでしまうお話です。
仕事していた中でもこの時期がいちばん辛くて、
毎日のように泣いていたし、電話が鳴るのが本当に怖かった。
書いていても、その時の辛いことがブワーーーッとよみがえってきて、
文章を書きながら辛くなって泣きながら書きました。
最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
※時系列は事実とは違います。
前回のお話はこちら
行事に合わせて休めるけど
フルタイムでしたが希望休が取れるため、
割と参観日などの行事は参加できました。
お休みは、年間120日くらいありました。
産休も1年取得できたり、有給やリフレッシュ休暇などもあり
そのあたりは充実していたかなーと思います。
でも、大事なイベントや出張と重なるとお休みできません。
何回か参観日をほかの人にお願いしていってもらったりしていました。
母親、義母、、当時まだ20代前半だった妹にも行ってもらった事があります。
感謝感謝です。ほんとに。
卒園式、絶対に休めない仕事が入る
卒園式は当たり前だけど年度末。
仕事も、年間の目標達成のためにラストスパートです。
そうなると、大きなイベントやプロモーションがあったりと仕事も忙しい。
そして・・・
ビッグイベントが卒園式とぶつかりました。
候補はほかの日にもあったんです。
で、そのときに
、私この日だと息子の卒園式なんで、できればほかの日に・・・
って、それとなーーーーく伝えたんですが
最終決定する方が、やっぱこの日でしょ。と、卒園式の日にちに決定。
私のスケジュールにあわせろとは言わないけど、
ごめんとか、やっぱこの日がいいんだよねとか、
配慮というか、なんというか。。。。
すっごくモヤモヤしました。
休みたいって言いたいけど、
そんなこと絶対に言えないような状況。
でも、卒園式は行きたい。
行かないという選択肢もない。
終わったら写真も撮りにいきたいし、
みんなで食事にも行きたい。
悩みに悩み、
午前中だけ休ませて欲しい
と、関係各所に頭を下げる。
何とかOKしていただけて、卒園式に行くことが出来ました。
準備は念入りにしたけど、
何か不備があって電話が来たらどうしようかとかなりドキドキ。
(結局、何も無かったので、よかった)
式が終わってから帰宅し、そのまま仕事へ。
写真館で写真も撮れなかったし、食事にも行かず。
一刻も早く行かなくては!という気持ちでいっぱいだった。
すごく複雑で、悲しかった。
何でこの日なんだろう。
何で誰も、大変だねとか休ませてあげられないかとか思わないのかな?って、
すごくひねくれたことを考えてて、そういうことを考えてしまう自分も嫌だった。
無事イベントは終了したのですが
こんな思いをしてまで働く意味ってなんだろうか
私は今後ずっとここで働いていて良いのか・・・また悩み始めました。
揺らぐ気持ち
どうしてもこの頃も、自分はダメなんだという思いが強く、
◆美容部員の自分
◆ママだけどフルタイムで働いている自分
◆大きな会社に勤めている自分
という、会社に所属していることにしか自分の価値を見つけていませんでした。
なので、
会社を辞める=自分の価値を失う
って思いがものすごく強かったです。
パート主婦になる自分が想像できなかったし怖かった。
夫には、いつも仕事のことや悩み、
愚痴を聞いてもらったりしていて
まだ成長してる途中だからなんじゃない?というような言葉を掛けられて、
ほかにも色々話し合っていて、
夫の言葉に納得したのでもう少し頑張ろうと決意する。
息子、小学生になる
小学校に入りました。
いや~~楽になるわ~~~と思ったら大間違い。
環境の変化に弱い息子、新しい環境になかなか慣れず。
当時所属していた児童クラブも合わなくて
土曜日は来ないでほしいと言われる始末。
うちの子は良くも悪くも個性がかなりあるので、
出る杭はなるべく打って揃えてまとめたいタイプの先生とは
保育園でも小学校でも限りなく合わなかった。
保育園では、その先生の言うことをあまり聞かなかったらしく
面談で、「(発達が)遅れてるって言われたことありませんか?」と言われ、
小学校では、あんまりな扱いをされていたので、
『先生にはたくさんいる子の1人かもしれないけど
私や夫、家族にとってはたった1人の子なんです』って電話で伝えたら
翌日学校に言った際に廊下に呼び出されて
「僕も一生懸命やってるのであの言葉は心外です」と言われたり。
(電話も忙しすぎて仕事の休憩中にかけてた)
なんともいろいろなことがありました。笑
そのかわり、それを面白がってくれたり、いいね!!って
思ってくれる先生とはめちゃくちゃ合う。
(残念ながら今まで出会ってきたのは前者の先生が多い。)
やっぱ何でも面白がれるひとが人生を楽しめるよね~~!!
児童クラブは行きづらくなるばかりだったので
仕方なく、近所の義母にお願いし、見てもらう日々が増えました・・・。
勉強もあるし、学校が終わるのは早いし。
息子も私も、義母も、みんな。
環境に慣れていくのにものすごく大変だった。
そして仕事は年々責任が重くのしかかってきて
不器用な私は、何をどうしたらよいのかがわからなくなってきてしまった。
同じお給料ですよね
つらかったけど、抱え込んでいて、
色々と仕事があるんだけどやり方がわからない。
結果、早出して22時くらいまで残業したりしてずっと仕事。
そして、それが限界になったとき、
これだけやっているんですけどそれでも終わりませんと泣きながら訴えてみた。。。
何か変わるかなという願いをこめて。
勇気を振り絞って震えながら伝えた結果。
それはあなたの仕事の効率の問題
今年はアナタが責任者
もらっている給料は同じですよね
というニュアンスのことを言われてしまう。
その通り過ぎて、何も言えなかったのと、
自分の能力の無さとか、甘えている部分とか、
もしかしたら子どもがいるから優遇して欲しいと思ってたのかなとか思って、
やっぱり全部私が悪いんだ。
仕事が出来ないから時間がかかってるだけで
結果が出せなかったら何時間やっていても関係ないんだ。
こんな私がやっぱり気持ちを伝えたりモノを言うなんていけないことだったんだ。
と思ってしまいました。
お分かりの通り、精神的にかなり病んでしまっていました。
家でもずっと泣いていて、
夫も出張で居なくて、
大丈夫とは言われてたけど、危険な仕事もあったりして
その不安もあったし、相談できなかったし寂しかったし、
夜遅くまで留守番をさせて寂しい思いをさせている息子にも申し訳なかったし
こんな私がお母さんなことすらも申し訳なかった。
連日遅くまで預かってもらっている義母にも申し訳なくて
留守中の息子を任せてくれている夫にも申し訳なくて、
お店にも会社にも自分のふがいなさで迷惑をかけていて、
どうしたらいいんだかわからなかった。
私じゃなかったら実績出せるのかなとかそんなことばかり思っていた。
出口の無いトンネル状態で常にマラソンとかジョギングをしている感じ。
仕事のミスの問い合わせも休み関係なく電話がかかってきてて
常に休まらないし、常に何かしらのミスがあった。
よく働けいていたなと思うぐらい極限でした。
接客自体はとてもたのしくて、やりがい・生きがいを感じていて、
だから続けられていたんだけど、
そのためのチーム運営とか活動計画とかが本当に向いてなくて辛かった~~。
何かあったの?にも、何もないですとしか言えない
あまりにもミスが多く、気をつけていても失敗する。
そもそものやり方とか、何もかもが間違えていたんだけど
それにもまったく気づいていなかった。
上司に、気をつけていたのにまたですと号泣して電話をしたこともあった。
(それも迷惑な話だった)
詳しくは書けないんだけど、史上最大のとんでもないミスがあったあと、
面談で「何かあった?不安なこととかあるの?」と聞かれたけど、
また、言い訳だと思われたり、
仕事にプライベートを持ち込むなと思われるかなとか、
お給料は同じでしょとか
それはあなたのもともとの能力が低いからでしょとか
それは甘えじゃないの。
って言われるだけだと思うと、怖くて言えなかった。
私は甘ったれた人間だから自分の気持ちを話しちゃいけない。
自分の思いを言ったら、ダメな人間だと思ってしまっていました。
東京の研修では、OKグラムという
わたしと、あなた・OKなのか、not OKなのか。
という自己肯定と他者肯定の診断をしたとき。
私はNOだけど、あなたはOKという結果をたたき出し、
周りからめちゃくちゃ心配されるという事件もありました。
その時のこと↓
こんなことがありましたが、
その後は仕事が楽しくなる転機が訪れました

いちばん辛くて暗い時期はこの辺りでした。
つづく!!