幸せと切なさは同義語だ

 

そのことに気付いた後に思ったこと。

 

 

この続きです↓

 

わざわざという言葉を、

私はあまり良い感じに思っていなかった。

 

 

「わざわざやってくれてありがとう」

「わざわざ言ってくれてありがとう」

 

とりあえず感謝感謝と、

そう口にしながら、本心では、

 

わざわざやらなくていいのに。

わざわざ言わなくていいのに。

わざわざそんなふうに受け取らなくていいのに。

 

お節介だなぁ。

大きなお世話だなぁ。

面倒くさいなぁ。

 

 

ここまでが自動でワンセットなのだから、

言葉×思考ってほんと恐ろしい笑

 

 

 

 

 

イラスト香織さん🥰

 

 

 

 

 

そう。

面倒くさい(と私が感じた)ことが、

実際に過去にあったのだ。

 

それ以来、私の思考の中で、

さきほどの自動でワンセットの流れができてしまった。

 

 

自動なので、気づかない。

正直マジで全然気づいていなかった。

 

 

ところが、突然気がついた。

 

 

それは、

「私を愛するための息する時間」

を思いついた時のこと。

 

半年間の”読む時間”をさらに深めるために、

私が愛読している本にも寄り添ってもらおうと思い、

ラッピングしていたときに思い出した。

 

 

リボンかけました!

 

 

 

雑貨屋で働いていたときに、

私はこの身を持って感じたことがある。

 

 

それが最初にシェアした、

上の記事に書いたことだけど、

 

私たち人間には、

わざわざ表現したい気持ちがある

 

ということ。

 
 

よくよく考えてみれば、

「ありがとう」って思ってても、言葉にしなくてもいい。

気持ちを伝えなくてもいい。

 

プレゼントをあげなくてもいいし、

お土産も買って帰らなくていい。

 

渡さなくてもいいし、

渡しに行かなくてもいい。

 

連絡しなくてもいい。

返事を返さなくてもいい。

 

丁寧にしなくてもいい。

関わらなくてもいい。

 

頼まれても断っていいし、

時間を使わなくてもいい。

何にもしなくてもいい。

 

 

人間関係だけではなく、

”わざわざ”って生活の中にたーーーくさんある。

 

 

掃除しなくてもいい。

花を飾らなくてもいい。

 

おしゃれしなくてもいい。

出かけなくてもいい。

 

毎朝コーヒーを淹れなくてもいい。

自分と向き合わなくてもいい。

 

 

私にとってインスタは、

ダラダラ見ちゃうものだけど、

ブログはわざわざ読みにいくもの。

 


きっとみんなもそうじゃないかな。

 

わざわざ読者登録して読んでいる人。

わざわざ検索して読んでいる人。

思い出した時にわざわざ一気読みしている人。

 

本当、このサラッと読めない長い文章を、

わざわざ時間をかけて読んでくれて、ありがとね!

 

 

でもさ、今挙げたどれもが、

わざわざする必要はないじゃない。

 

私たちには、

いつだって”自分で選べる”自由がある。

 

 

それでも、私たちには、

”わざわざ”表現したい気持ちがある。

”わざわざ”やりたいことがある。

 

それをやっても意味ないんだけど、

見返りを求めてるわけでもないんだけど、

絶対どうなる保証もないんだけど、

 

”わざわざ”の奥にある衝動は、

私たちの身体を動かしてくる。

 

 

なぜなら、

わざわざ動くことって、

気持ちいいからだ。

 

この衝動を無視して、

「どうせ」を選ぶ方が、

モヤモヤして気持ち悪い。

 

 

わざわざ言葉にする。

わざわざ行動する。

わざわざ時間をかける。

わざわざお金をかける。

 

どんな表現方法が、

自分にとっての愛の表現なのかは人それぞれだし、

「こうしてほしい」と思う好みもあると思うけど、

 

とにかく、私たちの生活の中には、

”わざわざ”という愛が溢れている。

 

 

わざわざやってるのにさぁと、

文句言いたくなる時もあるけど、

わざわざやるほど私が愛しているのだ。

 

 

わざわざやる方が、

私が気持ちいいからやっているのだ。

 

そのことを忘れないようにしたい。

というか、忘れた瞬間から愛が見えなくなるので気をつけたい。

 

 

 

そして、誰かに向けているその矛先を、

大いに自分にも向けてあげたいと思う。

 

 

わざわざ誰かに伝えたい気持ちがあるなら、

その前にわざわざ自分の気持ちを言語化する。

 

私であれば、

わざわざそれをブログに書いている。

わざわざ発信している。

 

 

思って終わり。

ノートに書いて終わり。

誰かに話して終わり。

 

ではなく、

 

わざわざブログに書いている。

わざわざ人に見える場所を選んでいる。

 

 

 

それはなぜだろうと、

自分の気持ちを掘っていけば、

その行動に秘められている、

自分でも気付いていなかった本当の理由がどんどん明らかになってくる。

 

やらなくてもいいのに、

なぜわざわざやらないと気が済まないのか。

 

 

自分自身の内的な動機が見えてくる。

 

 

そんな内的な動機の正体が、蔵干通変星なんだよねって話は、また今度どこかでしまーーす😂‼️

▼命式はこちらから簡単に調べられます

 

やらなくてもいいのに、

なぜわざわざやらないと気が済まないのか。

 

 

その内的な動機には、

不満の場合もあれば、情熱の場合もある。

 

 

情熱を突き詰めれば、

「だって愛している」からだ。

 

で、不満だって突き詰めれば、

やーーっぱり「それでも愛してる」。

 

 

“そこ(根源)”を大事にしていたい。

“そこ(根源)”を表現したい。

 

「愛してる」ことを忘れているのであれば、

わざわざやるときではないのだ。

 

 



最近久しぶりに花を買った。


お花の農家さんの直売で、

新鮮なお花をその日のうちに配送してくれる。





3週間経っても咲いていることにびっくり!

チューリップも、花が開き切っているのに、

花びらにハリがあって、 

“新鮮”ってこういうことなのか…と本当に驚いてる!!





花を絶対に飾らなきゃいけない、

わけじゃない。まったくそんなことない。


私が、花を飾りたいのだ。

私が、花のある生活をしたいのだ。

 

それは、私自身のことも、花のことも、

”花のある生活”というその象徴に含まれている豊かさや優しさが大好きだからだ。

その世界観を愛しているからだ。

 

そのことを忘れているのであれば、

花がそこにあっても何も見えないので、

むしろわざわざやらなくていい。

 

 

 

もう少ししつこく、

この話を皆に共有したい。

 

 

わざわざやったことの理由を、

わざわざ言いたくなるときがある。

 

大抵それは、

相手が気づいていないときだ。

 

 

わざわざやったのに、

相手がお礼を言わないとき。

 

3度までは見逃しても、

4度目からは我慢しきれない。

 

 

そんなとき、

つい相手に一言物申したくなる。

言わなきゃ気が済まなくなる。

 

相手の人格を否定したくなったり、

はっきり言ってあげよう。私が教えてあげよう。

絶対にそれが相手のためである。

 

という「正義」を振りかざしたくなる。

 

 

3度までは見逃しても、

4度目からは我慢しきれない。

 

↑回数は例えだけど、

“見逃している”のではなく見張っているし、

“見逃している”のではなく、テストをしているのだ。

 

 

そして、

このテストの評価基準は自分自身にあるので、

相手にその基準がなければ、

いつまでもマイナス。チェックだらけ✔️

 

もうこうなったら、

わざわざ自分で腹立ちに行ってる。

わざわざ自分で爆発しに行ってる。

わざわざ責めに行ってる。

わざわざ関係を壊している。

 

 

この、

わざわざ表現したい気持ちは、

自分自身で静かに掘るものです。

 

自分の声を聴くために、

自分のためにわざわざ時間を取って、

わざわざノートを広げるなり、

カフェに行くなり、散歩に行くなりして、

わざわざ自分と向き合おう。

 

 

わざわざ表現したい不満に隠れている、

「私だってそんな風に私に愛されたいのに!!」

という声に、気づいてあげよう。

 

 

 

その一方で、

わざわざ表現したい気持ちの根源が、

大好き♡♡♡という側のときもある。

 

 

私は、

大好きに対する私の気持ちは、

伝えるべきだと思ってた。

だって伝えてもらったら嬉しいでしょ🥹?って。

 

 

だけど、気付いてしまった^^

 

 

わざわざ「なぜこれをやるのか」

わざわざ「なぜ伝えるのか」

 

なぜならあなたのことが大好きだからだよ!

私はあなたを信じているからだよ!

私はあなたを応援しているからだよ!

 

 

 

 

と、伝えたくなる気持ちの奥には、

 

私の純粋なこの気持ちを、あなたは分かってくれるよねぇぇぇ?(圧

 

  

 

 

笑うしかないw w

 

こっちはこっちで、

「純粋さを振りかざしていたのだ😂

HAHAHA

もちろん、振りかざしている時点で純粋ではないw

それ、暴力な。

 


「言わなきゃわからないでしょ?」


それが正義であれ、純粋さであれ、

結局それは、不安を正当化しただけ。



分かってもらえなかったら困るし、

忘れられたくないし、

私の気持ちを軽んじて欲しくないし。



って、不安なだけ🤮



 

超痛いんだけど、

ここでの私の学びは、

 

正義も純粋さも、

わざわざ表現するものではない。

 

ということ。

知らずのうちの、暴力でした。

 

 

 

本当に正義ならば、

本当に純粋ならば、

淡々と、黙々と、そうしてる。

 

 

自分自身のために、

誰かのために、

 

わざわざ言葉にしたこと。

わざわざ連絡したこと。

わざわざ時間を作ったこと。

わざわざ足を運んだこと。

わざわざ会いに行ったこと。

わざわざ用意したこと。

わざわざ購入したこと。

わざわざ渡したこと。

わざわざ負担したこと。

わざわざ遠回りしたこと。

 

 

振り返ると、

たくさんの”わざわざ”があった。

 

それほどまでに、ただ愛していたのだ。

自分のことを、相手のことを。

 

 

それをわざわざ言わんでええ😂

 

わざわざ言うことで、下品になる。

わざわざ言うことで、源から遠くなる。

 

 

なので私はこの痛い気づきを糧に、

黙ることを今学んでいる。

 

黙ることにしている。

 

淡々と、黙々と、

わざわざを愛し、わざわざの豊かさを楽しんでいる。

 


わざわざ印刷する📖

これもまた、豊かさのひとつだ😌✨

 


わざわざ言わなくていいのに。

わざわざやらなくていいのに。

 

せっせと自分の品格を下げている人も

世の中には確かに存在している。

 

 

「わざわざやってもさ。」

と悲観したり文句を言いたい時もある。

 

 

だけどそれでも、

私の中に、相手の中に、

「わざわざ表現したい気持ちがある」ということ。

 

そしてそれを、

「わざわざ表現している」ということ。

 

 

その根源は、皆同じなんだよね。

 

 

そう思ったら、

ほっこりした気持ちになった。

 

 

”ほっこり”って、

安心する、あったかい感じ。

 

しんどいとは真逆にある感覚。

 

 

これまで私は、

”わざわざ”=めんどくさい

=はーぁ、しんど🤮

 

だったのだけど、

(もちろん全ての瞬間をそう思っていたわけではないけど😂)

 

今回の気づきのおかげで、

”わざわざ”=そっか、皆「愛してる」のだな

=ほっこり🥰

 

となったので、

私の世界が自動的に、

安心して生きれる世界になった

 

 

自分と向き合うことで得られる最大の恩恵って、

ここにあると思うんだよね。

 

 

気づくことで、

自動的に世界が変わる。

 

誰かを変えなくても、

外側が何も変わっていなくても、

私の中で勝手に変わる。

 

 

思考でドラマを作り出して、

片側に決めつけてしまうのも、

気づきの一つだけど、

 

もっと視野を広げて、

すべてを包括する視点に立つこともできる。

 

 

”わざわざ”という豊かさが、

ここまで読んでくれたあなたの内側にもあるのだということが伝わればいいなと思っています☺️

 

 


 

image

 

私が実際に体験した23の日々の気づきを、

エッセイという形式を借りてお届けします。

 

読む時間を通して、内なる声を聴く、

「読書体験」という新しい体験のかたちです。

 

 

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・愛の素肌
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今年もオンラインコミュニティ開設!

 

今回のコミュニティ対象者はこんな人たち💐

 

何となく、お金もらえてたらいいや、ではなく、
本気で仕事に命を賭けちゃう人たち。

本気すぎるが故に不器用で、
仲間思いで純粋な人たち。

見ている世界が、
美しい未来と繋がっている人たち。
 

 

それこそ、

”わざわざ”で人生がいっぱいな人たち!

 

 

わざわざって疲れるんだ。

だけど、わざわざって幸せなんだ。

 

一緒にこの人生を味わおう。

お互いの存在を通して、人生を深めよう✨

 

 

期間:2月〜7月までの半年間
形態:Facebookコミュニティ



2月21日募集〆切ます‼️

2月22日から本格始動✨