続き

※以下
死についてのリアルな表現が
不快に思われる方もいらっしゃると思うので
気にされる方は読まずにスルーしてください。






母の遺骨を抱き

葬儀場を出ると
しばらくしてお天気雨がサァーっと。
フロントガラスがキラキラしていた

あー これおかあさんだ
なんの躊躇いもなく思えた

運転席の旦那に
そう言うと
「舞のお母さん すぐ泣く人だったからなぁ〜」
と優しく言ってくれた

私は 笑い泣き

ほんと そうだったよね


母は
浜松に帰るといつも駅まで迎えにきてくれ
駅ビルの上階にある 自然薯のとろろ定食屋でご飯を食べさせてくれた母

その思い出の場所で
旦那と娘と私で昼食をとった

四人がけの席
一つ空いてるとこに 間違いなく母はいただろう


母が暮らしていた家の退去手続きやらある

母の家へ向かう


警察の方から話は聞いている
家の中はそのままにしてある
状態が悪かった為 異臭がする
諸々…

警察はそこまではしてはくれない現実


母の家に行く前に 急いで買い出し
手袋にマスク、除菌 消臭関係
何を用意したらよいかも分からず
無我夢中で買う


もうすぐ母の家
心臓がバクバクとしてきた
現状を見る怖さ
母の暮らしてきた形跡を見る辛さがこみ上げる



娘には車で待機していてもらう



母の家のドアの前に立つ
異臭を少し感じる
鍵を差し込む手が震えた

開けたそこは 懐かしい光景
母の小さな靴がきちんと靴箱に並べられていた


一人暮らしなのに3DKという広さに住んでいた
名古屋の人だから 家具が立派すぎて
この広さじゃなきゃ入らなかったのだろう


ゴミ屋敷にでもなかってないかと不安だったが
それはなかった
物が多いながらも きちんと生活していた形跡がそこにはあった


警察から聞いていた
玄関入ってすぐ左の部屋



すぐにわかった


母が倒れていた場所が





入り口入ってすぐのところに
倒れるようにして
懐かしい母の身体の跡が浮かび上がっていた



それを見た私は   母に話しかけた



お母さん
ここにいたのね

ごめんね
ごめんね
来るのがもっと早かったら

ごめんね
辛かったね
ひとりで頑張ったね

お母さん
そっか そっか
ここにいたのね


目が涙で滲んで 見えなくなる



よほど酷い状態だったのだろう
警察、葬儀場の方々に 母の最後の姿を見ない方がいいと 止められた 理由を やっと納得できた。


それからは
真夏のエアコンももうつかない猛烈な暑さの中
マスクして ビニール手袋して
現場の処理をする

こんなのテレビドラマでしか見たことない

現実なのか 夢なのか
よくわからない精神状態のなか
無我夢中で 床を拭く
匂いのついてしまった 周りのものを全て捨てるようまとめる

途中何度も 吐き気がくる
涙と鼻水 汗と吐き気とマスクの中は最悪


その横で 
旦那は テキパキと作業をしてくれている


暗くなる前に 一旦 中断し、
一度鎌倉へ帰宅

娘を旦那の実家に預ける為



帰りの車の中
私は膝の上に母の遺骨をギューっと抱き
浜松から鎌倉まで ひたすら泣いた

お母さん
お母さん
あいたいよ
あいたい
もう一度だけ会いたいよ

涙が止まらない
息が苦しくなり何度も咳き込む

そんな私を 娘と旦那はそっとしておいてくれた



翌日 また浜松へ

そこから数日間

私と旦那は 厳しい猛暑の中 
3DKの部屋を全て 二人で綺麗にした

途中何度も倒れそうになる私を気遣いながら
旦那は黙々とすごいスピードで 片付けていく
重い荷物も 一人で階段を何度も往復

旦那が かっこよかった
尊敬と感謝の思いで溢れた

妻の母とはいえ、人が死んだ跡の形跡が残る
凄まじい状況に 文句や愚痴のひとつも言わず
ただ ただ 黙々と。



私と旦那は
実は離婚の危機だった
お互いの気持ちが 現界にきていて
細い糸でかろうじて繋がっているような状態


そんな二人に
母からの愛のプレゼントが届いた




人はひとりでは生きられない
同じような思いをしてほしくない

あなたの旦那さんは こんなに愛のある人なんだよ
気付いてね


奇しくもその数日後は私の誕生日
何よりも素晴らしいプレゼントを母からもらった気がした



ホテルをとって
数日かけて 全ての作業が終わった日



旦那さんが 私をギューっと抱きしめて
「よく頑張ったね」  と 一言。


ずっとどこか堪えていた感情が溢れだし
旦那の胸で思い切り泣いた



お母さんからの愛の贈り物
しっかり 受け取ったよ


ありがとう






何が大切が全く見えていなかった私に
母は身をもって
全部見せて 教えてくれた






母は常日頃
死ぬ時に まいちゃん達に迷惑をかけたくないと
言っていました。


ある意味
その願いを全うしたように思います



きっともうすぐ自分は死ぬだろうとわかっていた
死ぬ直前も 私に連絡せず 一人で苦しんだんだろう
連絡したくても できない状態だったのかもしれない

ほんとは弱っていて
困っていて
寂しくて
つらくて

でも最後まで 決して 私に助けを求めるようなことは
言わなかった


最後の電話まで
かすれる声で 
「だいじょうぶだよー」


最後の母の声を思い出します。




月日が経ち
旦那さんへの感謝や尊敬の気持ちが
元に戻りそうな日も多々ありますが



また 改めて
私のそばで いつも支えてくれていることに
感謝し、娘と三人で
わたし達らしく 元気に暮らしていきます。


お母さん

きっと 見ててくれてるよね



あなたの大事な孫娘
大きくなったでしょ


これからも 見守っていてね


わたし達 頑張るから



お母さん




ありがとう

大好きだよ




今は 遺品の中から見つけた
35歳の時の 笑顔の母の写真を飾っています。

だから
毎日 思い浮かぶのは
私が小学生の頃の母の顔


若いね
よかったね お母さん 笑











2回にわたり
長文を読んでくださった方に
心から感謝します。

ありがとうございました。








身近な人も目にするので
公表することを躊躇う気持ちもありましたが


わたしの体験を見て 
一人でも多くの方が 何かを感じ取って
この時代を生きていく 力になってくれたら

嬉しいです。




最後までお読み頂き
ありがとうございました。



愛を込めて