おまえらばかかと言うクソムシ | ま

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貧富の差や美醜、更には頭の出来不出来ですらも差別するのはよくないということに建前上なっているのに、なんで性格で差別するのは建前上ですらも否定されていないのでしょう。どうして性格は当人の努力が足りないせいだ、頑張ればどうとでもなると思われているのですか?


ここでいう「性格」は、「性質」と言った方が正しいと思われますが、それは少し易しい言い方をすると「心」になると思います。心の弱い人間は心の強い人間よりも劣っている、と、当たり前のことのように言われています。


人間は心が一番大事だとよく言いますが、どうしてそのような一番大事なものが、そんなに簡単に、あっさりと、変えてしまえるものであるかのように捉えられているのでしょう。わたしはそれが謎で謎で仕方がない。大事なものだからこそ、変えようとも変えることができないのではないのですか?いや、変えることができないものだからこそ、大事にしないといけないのではないでしょうか。自分の特性を大事にすることから始めなくてはならないのに。スタートすら切らせてもらえないのに走れるわけがないではないですか。おまえらばかか。


あ、頭の出来不出来は学歴というわかりやすいもんで差別されてるじゃないかと思うでしょうが、一応はそれは差別ではなく区別なんですよ。差別と区別の違いって、差別は「問答無用ですべて駄目とされて解決策を与えられない」のに対し、区別は「あれは駄目だがこれは許可する、と解決策を与えてもらえる」というところだと思うんですよね。だから頭の悪い人は頭の悪い人なりに他のところで頑張ればいいだけなんです。しかし、心の弱い人が心の弱い人なりに頑張っても、心の強い人には「まだまだ頑張りが足りないwwwwwww」と言われます。「どうしても傷つくなら、傷つかないようにうまく逃げる方法を考えよう」ではなく「傷つくのが悪い!逃げるな!」じゃないですか。


あ~、あああああああああああああああ~~~~~~~~ああ~~~~~~~~~~~~~~~~~もういっそしにたいよね~。そりゃみんなじさつするわ~。わたしはじさつしなくていいようなんとか逃げて生きていきますけど!