できて当たり前のこと、とされていることができないのはどんなに辛いことだろうか。それがたとえ一時的な不幸であっても。
蹴落とし合いいがみ合い生きていくのが人間の生き方なんだろうか。自分の常識を他人に振りかざし白い目で見ることが善なんだろうか。あなたにできることがあの人にもできることとは限らないよ。
たとえば派遣村が話題になっていたとき「働き口がない」と言う人たちに「それはえり好みしているからだ。職を選ばなければいくらでもあるだろう」と言う人たちがいた。わたしは元から働く気がないのでまったく関係ないにも関わらず、なんて嫌なことを言う人たちだろうと思った。確かに正論かもしれない。でも、自身はやりがいのある好きな仕事に就いておきながらそういうことを言うのはとてつもなく傲慢である。それを自覚した上で言うのは鬼畜だが、自覚せず言うのはただの馬鹿だ。そして、自身がやりたくもないきつい仕事をやっていてそういうことを言う人には『自分だって嫌なことをやっているんだからお前だけ嫌なことから逃げ出すのは許さない』という意識があるように思われる。こういう人間は人の足を引っ張ることしか考えていない。恐ろしい。
職業選択の自由ってなんだ?どの職業に就いても企業の、更には国の、奴隷ではないか。
わたし自身には今のところ本当にまったく関係がないのだけれどもね。でも、わたしは、わたしの大事な人たちが苦しい思いをするのは嫌だ。嫌だと思っているだけで、革命を起こそうとしないところが糞すぎますけれどもね。だってめんどい。
しかし、もしもわたしが、定職に就かず、結婚もせず(子も産まず)、一生を終えたとしたら、それはなによりもの反抗なんだ。理解してくれる人は少ないだろうけどね。たまたま恵まれた環境(女という性別も含め)に生まれたというだけで、なんの疑問もなく幸せな人生を送ることができるほど、わたしはしあわせなあたまを持っていなかったよ。うれしいね。かなしいね。