正しいとか正しくないとかを、我々はあくまで現代の道徳やら法律やらに則った観点からしか判断できないわけで、ひろいながい目で見ると正しくないことをするのが使命な人間もおるのではないかと思っとります。自分がそうなのかはわかりませんが。
答えのない意味のないことを考えるのが大好きで、社会人である前に哲学家でありたいと思っているのですが、それと同時にあまり考えずにとにかく行動すべしとも思います。要はバランスです。わたしは花のようにでなく草のように生きて行きたい。
そんなわたしがわざわざ女の形をしとらんでもよいような気もするのですが、女として生まれたのにはなにか意味があるんでしょうか。まぁ、楽なのはいいことです。男だったら「女の腐ったようなの」と形容されるような精神性も、女なら「ただの女」です。だからわたしもふざけて生きてやります。たとえ男だったとしても「女の腐ったようなの」と言われながらふざけて生きていたと思うけど。
現在のわたしの性では、イージーモードで達成感のない人生がよしとされています。わざわざ難易度を高くして必死でやっていても(勝つことではなく挑戦することに意義があると思っている)「そこまでせんでも」と言われるのが女の人生です。結局最後は嫁になるのがいいのかとかそういうことへの反発ではありません。
誤解覚悟で言ってやる。「孤独死がしたい」
ああ、虫さえ平気だったら田舎で自給自足の生活がしたいなぁ。本当はわたしはただ生活がしたいだけなんだ。生活だけしていられる人生だったらどんなに素晴らしいことか。皆そう思ってるんじゃないか?そうでもないか。皆もっと他のことがしたいか。そうか。