コミュニケーション能力は愛の力

私達は言葉という記号を使い

その裏にある何か

形にならない物を伝えあっている

 

旧約聖書「創世記」の昔、

高慢になり過ぎたノアの子孫たちは、

天にも届く高き塔を建てようとして

再び神の怒りを買い

言葉を乱される

 

 

動植物たちは言葉に頼らずとも

お互いを尊重し

恵みを分け合う事を知っている

 

チベット語では人間の定義が

「しゃべった言葉を理解できる」となるが、

では異なる言語を持つ者達とは?

 

言葉という記号はわかりやすいが

逆に意味を限定してしまう危険がある

一つの記号の解釈には

実はその人の人生経験が乗っている

 

例えば「努力」の一言を

辛く長いものと感じるか

希望に満ちた楽しいものと感じるか

どちらもその人の正解である

 

言葉の違いは

異文化を持つ者たちと触れ合う時

記号に振り回されぬようにという

神の配慮でもあるかもしれない

 

 

とはいえ

言葉とイメージには

エネルギーを動かす力が宿る

 

神に向き合うとき

私達は自分の中にある

本質の光と向き合っている

 

祈りにネガティブな内容を

持ち込むのは難しい

 

いつでも祈りのように

言葉を紡ぐ事ができれば

この世は平和になるだろう