人の心を暖かくする気使いと

相手を疲れさせる気使いの

違いは何だろう?

 

色々細かく気が付くのに

何故か人を疲れさせる気使いは、

実は相手への思いやりよりも

「自分が人からどう思われるか」

がすごく気になっているので、

説明が長く、言い訳が多くなり、

結局中味が無かったりする。

 

ちゃんと相手を優先に見ているか、

周りとの調和を考えているか、

裏方に回る覚悟はあるのか?

 

もちろん自分の目線や

自分優先が必要な場面もある。

でもそこに罪悪感が無いなら、

説明は必要ない。

 

 

例えば「失敗したらゴメン」と、

先に言い訳を言っておくとか、

「自信がない」と何度も言うのも、

周りから見える自分が気になり、

自分をより以上に見せようとする

エゴに他ならず、

「たかが自分 されど自分」を

そのまま普通に出す事が、

かえって周りを疲れさせず、

謙虚に使命に沿う事なのでしょう。

 

 

言葉ということだまは

常に諸刃の剣

 

時に人を癒す薬にも

傷つける武器にもなる

 

大切に扱い

祈りのように言葉を紡ぎたい

 

歌や音楽は神への捧げもの

 

ユーモアや笑いは

善なる共感の振動を起こす