これからを考える | アルツフルデイズ

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アルツハイマー型認知症になった実母のことと、
アラフィフ主婦の日常をあれこれ書き連ねます

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ここ最近、あーちゃんはずっと不安定。
情緒的にも体力的にも。
 
精神状態と体調は連動しているが、どちらが先に調子を崩したのかと言えば、それはもう鶏と卵みたいな話だ。
結局のところ、あーちゃんの認知症が進行しているということなんだと思う。
 
認知症の進行スピードに個人差はあるけれど、認知症の進行とともに記憶力や判断力といった認知機能だけではなく身体の機能も落ちて行くのは誰もが同じ。
身体の働きに指令を送っているのは脳なので、脳自体の機能が落ちれば身体へ指令を出すこともスムーズには行かなくなるのだろうね。
あーちゃんはこのところ酷く疲れ易いのもそのせいなのかな。
 
 
今まで何かを決めるときにはなるべくあーちゃんの意思を尊重し、あーちゃんのプライドを傷つけないように気をつけながら、正しいと思われる方向に誘導してきたけど、
あーちゃんの意思を尊重すると言っても…今のあーちゃんにはもう正しく理解する力も正しく選択する力もないし、更には自分で決めたということすらも覚えていられない。
あーちゃんのためにどうしてあげれるのが正しいことなのかよく分からなくなってしまうことがこの頃増えていた。
 
そんな時、先日の診察で認知症の先生の言われた
「本人の意思とかより、いかに本人も周りも楽に生きられるかですよ」
という言葉がなんだか沁みた。
 
良かれと思ってあーちゃんが延々と話すたんたんの悪口を聞いてあげていたけど、それがフラッシュバックを引き起こしたりと、
あーちゃんの意思を尊重することが必ずしも良い結果を生まなかった時に、落ち込むなーにゃんとワフウフにかけられた先生の言葉。
 
 
あーちゃんに合わせて曖昧な相槌を打ったり、辻褄を合わせるために会話にさりげなく嘘を散りばめたり、そういうのもなんだか認知症の人を馬鹿にしているみたいで罪悪感を持つこともあったけど、
そうすることであーちゃん本人もそれを支えるワフウフ達も、両方楽になるのならそれが何より本人の為なのかな、と思うようにしている。
 
お薬の力も然り。
あまり強い薬は飲ませたくない。けれど、あーちゃんの気持ちが楽になるのであれば、それで周りとも上手くやっていける状態になるのならば、薬の力を借りるのも悪いことじゃないよね。
幸いなことにあーちゃんの認知症の先生はあまり強い薬も使わないし、薬の数も必要以上に増やさないであーちゃんの状態に合わせて微調整してくださるし。
 
いつまで続くか分からない介護だからこそ、楽な気持ちでどーんと構えていられるようでいなくちゃなーと思う今日この頃。

 
 







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