先日の陶芸美術館の帰りに、三田のエスコヤマで小山ロール買いたかったけど、定休日でしたぁ~。

友人の希望で篠山城址に行きました。

桜の花はあと少し!





今はもっと開いてますねニコニコ

立派な石組です。滋賀の石穴衆がくんだものです。
家康の大普請にふさわしく、大阪城のように刻印石が多数見受けられます。


大阪城や姫路城のような壮麗さはありませんが、石組を見ていて見飽きません。

石垣もその下の犬走りも手入れが行き届いております。

お堀がぐるりとはりめぐされ鯉が泳いでました。

水をたっぷり引き込むのといぬ走りは、今治城と共通とのことです。

高虎の手掛けたお城は、江戸城の補修
、膳所城、伊賀上野城など。
二条城の改修案など。

羽柴秀長の右腕から、天下人秀吉の聚楽第の建設の心配りを家康に大変気に入られ右腕となり大名へと上り詰めました。

この城郭があまりにも堅牢なため、家康が天守閣を建てるのを禁じたとのことです。






以下、篠山市のホームページからの引用です、








慶長14年に丘陵の笹山に築かれた新しい城が篠山城です別名桐ガ城とも呼ばれている篠山城は普請総奉行に池田輝政(姫路城主)縄張りに藤堂高虎(津城主)を配し15カ国20の大名の夫役による天下普請としてわずか6カ月で完成し以後松平三家八代青山家六代の居城として栄えました
明治維新後は明治4年(1871)の廃藩置県や明治6年の城郭取り払い令により隅櫓門堀など大半の建物が次第に取り壊されました。
 その中で城内最大の建築物であり京都の二条城の遠侍の間を模したといわれる壮大な大書院だけは取り壊しをまぬがれその後小学校や公会堂として利用されてきました。

埋門という、敵が攻めてきたら土砂で門ごと埋めるそうですびっくり





藩校を作ったり
藩の教育に力をいれた藩主、
青山氏を祀った神社。

東京の青山墓地が青山大膳亮下屋敷跡らしく、青山の地名と関係あるみたいです。

今は静かに花が咲いてますニコニコ





1944年に消失した大書院が2000年に12億かけて、復元されました。
作りは、同じく高虎が手掛けた二条城とにているそう。


中は入館料払って見学できます。

色んな武将の甲冑こレプリカが飾られてます。


模型と立派な瓦!


狩野派の絵師による襖絵。二条城ぽいニコニコ



写真では、見きれてますが光秀の丹波攻めで有名な八上城があった高城山が臨めます。
遮るものがないので眺めがよいです🎵

こじんまりとしてますが、戦国時代にタイムスリップできる場所ですね。

 城下町も風情ありますし、焼き物巡りも出来る篠山また行きたいです🎵

ご覧いただき有り難うございます。ウインク