ツイッターで感想がすごいことになっていたので、

電子書籍で慌てて買って読みました。


また、竹宮惠子氏が2行で書いてたことを、萩尾望都氏は19ページ使っているとのツィートを読んで


あわてて こちらも、一度読んで捨ててしまったのだが、電子書籍にて求める。

 

余談だが、電子書籍は今すぐ読みたいときに買って読めるのが最高だと思う。

あとは、家にものが増えないというのも。

本の断捨離をしまくっている私には、

レシピ本や画集を除けば電子書籍の方が合っているかもしれない。



さて。


感想を書くべきでないとの意見も散見したが、


ファンクラブに入っていて超ディープな竹宮惠子ファンだった私には

このことについて、何某かのアウトプットをしておきたい。


30年以上前から竹宮惠子のファンで、

作品のみならずインタビューや対談など

ありとあらゆる媒体を読んできた。


大泉サロン、

24年組


そして、


モーサマ


という名は幾度も氏の言葉から出ていて

マイナスなイメージは全くと言っていいほどなかった。


ただ、萩尾望都さんのインタビューや記事などからは、

大泉のこと、竹宮さんのことが全くと言っていいほど言及がなくて

ずっとずっと不思議だった。


モヤッとしていた時期もあった。


それのすべての理由が分かった。



今でこそ、竹宮さんの世界と萩尾さんの世界は全く違うと言えるし

両者に甲乙をつけるのは


芥川龍之介と夏目漱石の優劣、

モーツアルトとベートーヴェンの優劣をつけるような不可能なことだろう。


私が両氏の作品を読んでいた頃は80年代だが、

それでも、他の作家との比較において、両氏の作品はとても共通点が多いように感じられた。


それは、一緒に住んでいたからだろうと明白であったし

増山のりえ氏の影響も同時に受けていたのであれば当然のことであったのだろう。


萩尾さんの本を読むに、竹宮さんと増山さんにとっては少年愛かどうかが重要なテーマであったようだが、

人間ドラマを描くことにそのような決まり事は必要ありますまい。


ただ、当時の少女マンガ界において、

少女ではなく少年でなければできない

少年だからこそ書き手も読み手も受け取れるメッセージがあったのだろうと思う。



萩尾先生の心の痛みは凄まじく、

描いてられる作品そのもののようだった。


両氏の作品には共通点が多いが、私はずっとそれが作家同士の美しい影響、

お互いの創作の響き合いなのだと思っていた。


しかしながら、このような相克と破局があり

萩尾先生にとっては封じなければならないほどの苦しみということが、

ずっと両氏の作品を愛してきた私としては

悲しい以外の何物でもない。


萩尾さんはこのような本を書いて、一度きりと言っているが

もっと騒がれてしまうかもしれないとの意見を見たが、


確かにそのとおりかもしれない。



ただ。


竹宮惠子氏にもはや作家としての活躍は期待していないが、


萩尾望都氏はこれからも世の中をふるいにかけるような?

恐るべき作品群を生みだしていく人だと思う。


これは役割の違いであるのだが、



素晴らしい作品を読めればそれでいい。


1ファンとしては、それ以上でもそれ以下でもない。