【夫が定年退職した日】第4話
「離婚したい」そう言った瞬間、夫の顔色が変わった
娘の家で過ごした一週間
私は六十七歳にして初めて家出をしました。
行き先は娘の家でした。
たった一週間。
それだけの期間だったのに、不思議なほど心が軽くなったのを覚えています。
朝、誰にも起こされない。
昼食を気にしなくていい。
夕飯の時間を逆算しなくていい。
「コーヒー」
「飯」
「まだか」
そんな言葉も聞こえません。
私は久しぶりに、自分のためだけに時間を使いました。
娘と買い物へ行きました。
カフェでお茶もしました。
夜遅くまで話もしました。
その中で何度も聞かれたのです。
「お母さん、本当はどうしたいの?」
私は答えられませんでした。
でも心の奥では分かっていました。
このまま家へ戻っても何も変わらない。
また同じ毎日が始まるだけだと。
夫からの電話
家を出て三日目。
夫から電話がありました。
私は少し緊張しました。
謝ってくれるかもしれない。
そう思ったのです。
しかし現実は違いました。
電話に出ると開口一番。
夫はこう言いました。
「いつ帰るんだ?」
私は黙りました。
続いて。
「冷蔵庫の物どこにあるんだ?」
「洗剤が見つからない」
「町内会の回覧板どうするんだ」
私は呆然としました。
謝罪はありません。
心配の言葉もありません。
夫が困っていることだけ。
それだけでした。
私は静かに電話を切りました。
そして決意しました。
初めて口にした言葉
一週間後。
私は家へ戻りました。
リビングは散らかっていました。
流し台には食器が山積みです。
洗濯物も放置されていました。
夫はソファに座りながら言いました。
「やっと帰ってきたか」
私はその言葉を聞いた瞬間。
決めていたことを口にしました。
「話があります」
夫は新聞を畳みました。
私は深呼吸をしました。
そして。
「離婚したいです」
そう言いました。
部屋が静まり返りました。
夫は固まっていました。
私自身も震えていました。
結婚して四十二年。
初めて口にした言葉でした。
夫の逆ギレ
数秒後。
夫の顔色が変わりました。
驚きから怒りへ。
みるみる変わっていったのです。
そして怒鳴りました。
「何言ってるんだ!」
私は黙っていました。
夫は続けます。
「この歳で離婚?」
「世間体はどうする?」
「今さら何を言ってるんだ」
その言葉を聞いて。
私は不思議と冷静でした。
夫は私の気持ちではなく。
世間体を心配している。
そう分かったからです。
私は言いました。
「私は幸せじゃない」
夫は笑いました。
「誰だってそんなもんだろ」
私は胸が苦しくなりました。
やはり伝わらない。
四十年以上一緒にいても。
この人は私を見ていなかったのです。
息子の反応
数日後。
私は息子にも話しました。
正直怖かったです。
反対されると思っていました。
ところが。
息子はしばらく黙ったあと言いました。
「やっとか」
私は驚きました。
息子は苦笑いしていました。
「正直ずっと思ってた」
「お父さん、お母さんに甘え過ぎだって」
その言葉を聞いて涙が出ました。
子どもたちは分かっていたのです。
私が我慢していたことを。
夫婦の空気を。
ずっと見ていたのです。
年金分割という現実
離婚を考え始めると。
次に出てくるのはお金の問題でした。
私は初めて年金分割について調べました。
財産分与についても調べました。
専門家にも相談しました。
不安はありました。
六十代後半で一人になる。
簡単なことではありません。
でも。
残りの人生を考えた時。
今のままの方が怖かったのです。
毎日ため息をつきながら生きる未来。
夫の機嫌をうかがう未来。
それをあと十年、二十年続ける未来。
想像しただけで苦しくなりました。
そんなある日。
夫が珍しく真面目な顔で言いました。
「本気なのか?」
私は答えました。
「本気です」
すると夫は初めて黙りました。
その顔には。
怒りではなく。
焦りが浮かんでいました。
しかし。
もう遅かったのです。
私の心は。
とっくに離れていました。
(最終話へ続く)
■管理人より
熟年離婚を切り出した時、多くの夫は「まさか本気だとは思わなかった」と言います。
しかし妻側は何年も、何十年も悩み続けた末に決断しているケースが少なくありません。
突然に見える離婚も、実は長い年月の積み重ねなのかもしれません。
■体験談募集
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