教会のチャリティーコンサートに行ってきました。
教会が運営する幼稚園に通うママたちが地元の音楽家に呼びかけ、福島の子どもたちを支援するために開催しているというハートフルなコンサート
トリの出演者は東京芸大卒業後、国費留学でヨーロッパの音大を首席で卒したという堂々たる経歴の声楽家とピアニストでした。
パンフレットにはお二人の華々しいプロフィールが紹介され、どちらも素晴らしい音楽家であることが一見してわかります。
ところが、お二人の演奏には見事なコントラストがあったのです
女性性で心を動かすか
男性性のやり方で説得しようとするか
そんなことも感じさせる両極のアプローチだったのね
声楽家は天使が舞い降りるのが見えるようなソプラノでごく短いハレルヤを一曲だけ独唱した後、子どもたちをステージに呼び「皆様も是非ご一緒に歌ってください」と言ってホワイトクリスマス、まきびと、サンタがまちにやってくる、をその場にいた観客スタッフ全員と共に歌いました。
その後に紹介されたピアニストは、まずこれから演奏する「悲愴で懺悔をテーマにしたバッハの曲」がいかに高度なテクニックを要求されるか、という話を10分近くして、15分以上にも及ぶピアノ曲を第3楽章まで弾ききったのです。
私は悲愴で懺悔をテーマにしたバッハを聞きながら、この声楽家とピアニストの違いは何なのだろうと考えてしまいました。
そんなこと私が考えること自体が全く余計なお世話なのだけれどね。
私は声楽家がカッコいいな、と思ったから
2人の違いは
音楽に対する姿勢なのか
自分を表現する方法なのか
自己評価や承認欲求なのか
はたまた、出演依頼した側が
「一般大衆にも優れた芸術に触れる機会を」と頼んだのか?とね。
プロとしての姿勢なのかもしれないな
確かにどちらも
サントリーホールで2万円払って聴く価値のある感動的な演奏だった
けれども、声楽家とピアニストの演奏で
感動したポイントが全く違う
動かされた感情が違うって言うのかな
チャリティーコンサートで観客を楽しませる必要はないのかもしれない
ボランティアでやってるんだし
頼まれてやってるんだからね
ただ私も、幼稚園児に悲愴なバッハを聞かせちゃうような仕事の仕方をしてる時があると思ったの
幼児に懺悔の想いは伝わらないとも、バッハがわからない思っているわけでもなくて、
闇雲に実力を見せつけたい!みたいな欲求が自分自身にもあるということ。
そういう自分は、幼稚園児よりずっと幼稚だと思う。
受け取り方は人それぞれだから、私がそう思っただけだけど、
どんな場面でも一流のピアニストであることを見せつけ続けなければならないって、すごく辛そうだと思っちゃった。
わかる人もわからない人も
そのピアノが好きだと思う人も嫌いだと思う人もいる。
すごいでしょ?すごいでしょ?すごいでしょ?
って、誰に言ってるわけでもなく
多分自分に言っているんだよね?
常に自分の生活に関わってくる人々全員がコンクールの審査員ではないのだから
声楽家もピアニストもどちらも女性で母親でもあるけれど
声楽家のアプローチは女性性を使っていて
ピアニストは男性性的な世界で生きて、今なお踏襲しているように見えた。
民の心をつかむのに
輪の中に入るか
圧倒して屈服させるか
という違いだよね。
天使も思わず魅せられてしまうようなソプラノ歌手が、子どもたちに囲まれて、マイクも譲ってサンタがまちにやってくるを楽しそうに歌っている姿は最高に素敵だと思ったし
そういう力みのなさが
どんな場合でも相手の心を開いて
心の1番奥にストレートに想いを届け
感情をうごかすことができる
という瞬間を目撃して
自分はこういうプロでありたいぞ
と再確認させてももらえた
非常に有意義なコンサートでございました
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