病気はギフト
自分に見直すべき点があるのを気づかせるために身体が教えてくれること
そう言い切る人々がいます
「病気は好きでなっている」とかね
現在までの私の結論では
大人は多分そうだろう
子供の病気は違うこともあるんじゃないか
病気はギフトと言っている方々は、大抵不治の病を自力で克服された方、又は、克服しようとしている方でしょう。私見でも葛藤が病気を作る事はほぼ間違いがない、と思っているので
>癒しの過程 ~ 心身と魂の統合過程
そういう表現がなされるのは大いに理解できます。
では、どういう人にとって病気はギフトになり得ないのか?
これはものすごく面白い事なのですが、ギフトだと考える人と同じ、起こった事を受け入れちゃう人ですね。
ただし、両者は考えている段階というか、レベルが違います。
病気に掛かるかどうかは交通事故に会うのと同じ
これだけ環境が悪化していれば誰だって病気になるし、自分はただ単に運が悪かった
こう考える人を交通事故さん
自分が病気になったのは、必然なのだ。何か見直すべき事があるというサインだろう。このギフトを無駄にしないように自分を見つめ直そう
こう考える人をギフトさんと呼ぶことにします
どちらも現状を受け入れています。
交通事故さんは偶然の産物として
ギフトさんは必然を探るキッカケとして
交通事故さんは、運が悪かったという形で運命を受け入れているのですが、病気にならない道も選べたということには決して思いが至りません
交通事故さんは、今ある環境を信じ、自分を信じ、自分の歩んできた道と価値観を絶対的なものだと信じています
ギフトさんは、反対に環境を疑い、自分の歩んできた道とその価値観を疑い始めます
疑い見直すのは、途轍もなく辛い作業になります。自分を否定したい人も、自分の歩んできた人生や価値観を否定したい人は、そうそういません
だから多くの人は感情に蓋をして、今の人生や価値観の中で生きて行くことを選びます
自分の命を削って
命の代償はお金や世間体、恨み、慣習。そんな本当はどうでも良いようなものです
でも、交通事故さんにとっては、それが命より大切なのです。
気づかなかったわけではありません
気付こうとしなかっただけです
上のリンク記事で、命はそんなにやわじゃないの著者、杉浦さんは、ガンになったのは、自分の幸せより、親や世間が認める良い子を演じ続けたためだと気づいて考えを改めた。子供の命を削ってまで世間体を維持したい親なんているでしょうか?と書きましたが、
いますね。
子の命を削ってでも世間体を守りたい親も
自分の命を削ってでも、世間体を守りたい人も
他人事だと思って読んでいると、嘘でしょ?そんな馬鹿らしい!
と、思うかもしれませんが、実際にそう言っている本人が何よりも世間体第一だったりするのです
そのくらい難しいってことでしょう
蓋をしている自分の気持ちと真摯に向き合うことは
HPです↓
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