前回の記事の続きです⭐︎
「モモ」を通してEchoってこういうことなんだなぁ〜と、壮大な風景のかけらが見えました⭐︎
さて、主人公である「モモ」は、気功技術「Echo」のモデルとしてまといのば本家主宰のブログでは紹介されています。
モモの特別な能力について、訳者の大島かおりさんはこのように語ります。
あいての話をじっと聞くことによって、その人にじぶんじしんを取りもどさせることのできるというふしぎな能力、宇宙の音楽をききとり、星々の声に耳をかたむけることのできる能力を持ったモモは、人間に生きることのほんとうの意味をふたたびさとらせるために、この世に送られてきたのでしょう。
ミヒャエル・エンデ『モモ』より引用
「宇宙の音楽をききとり、星々の声に耳をかたむけることのできる能力」まさにそうだなと思います。
モモを読んでからの個人的な変化のひとつに、「風に吹かれる木の葉の音」が美しいなと感じるようになりました
作中、モモがマイスター・ホラのどこにもない家で「時間の花」を見せてもらいます。
その時の描写がとても美しいもので、Echoの壮大な風景そのものだと思いました⭐︎
ホラ教授が見せたのは、モモの心の中にある時間を可視化させたもの。
全世界の時間ではなく、「あなた自身の時間」だと言います。
私たちの世界は、耳で聴こえないところまで広がる音によって豊かに満たされています。
倍音は、楽器はもちろん、人の声も自然界のすべての音に存在します。
音楽を聴くとき、目の前の一音一音に集中することで、その人の持つアイデンティティ、文化的なバックグラウンドが見えます。
私は、ジャズの演奏を聴いて、白人が弾いているのか、黒人が弾いているのかがわかります。
フランス人かイタリア人なのかもわかる時があります。
どれほど、精密にトレースしても、楽器を通していても、その人の色が出てしまうものなんです。
一方で、自分ではない誰かの色に染まってしまうことが日本人には多いと、チック・コリア*が指摘していたことがあります。
*名曲『Spain』で知られるアメリカ人のジャズピアニスト
私にも「ジャズは、アメリカの音楽なんだからもっとアメリカに近づかなきゃ」と考えていた時期がありました。
そんな考えがゆらいだエピソードがあります。
アメリカでチック・コリアのライブに行ったことがあるのですが、ライブが終わって握手させていただいた時に「Thank you!」と言ったら「ありがとう」と日本語で返してもらったことがあります。
会場は、多国籍でアジア人も他にたくさんいる中でです。
見た目で判断したのかも知れないので実際のところはわかりませんが、「音」で私の文化的なバックグラウンドを見てくれたのではないかなとわたしは思ってます。
それ以降、自分が持っているもの、日本人にしかできないもの、自分の生まれ育った文化をリスペクトすることは大切だなと考えるようになりました🌸
お互いの言語が違っても、Rゆらぎは起こるのだと実感したエピソードです
人にものを伝えることも、受け取る行為そのものも芸術のようなもの。
あなたにしか出せない音があると言うことです💗



