運命学研究家 根本 沙璃(さり)です。

 

先日、セスナ機に乗る貴重な体験をしました。


上空200メートルから望む地元の景色は
筆舌に尽くし難い絶景でした。
 

 

上空から見える成田山は、いつもと違う

インパクトがありました。

 

江戸時代から参拝者で賑わい、今も

国内外からの参詣者が耐えない理由が

わかるような気がしました。

 

 

印旛沼を一望できたことにも感動しました。

地図を見ているような不思議な感覚でした。

 

まるで、龍に乗っているかのような気分で最高でした!

 


さて、今日のテーマに入りましょう。

 

 

東洋の自然哲学では

その人の性格は

 

生まれ持った気質に加え

育った環境が影響すると言われます。

 

 

幼少期の親子関係や、保護者

養育者や親戚兄弟との関わり

なども、大きく影響するわけです。

 

 

 

そして、今まで個人鑑定や

講座を行ってきて

 

いろいろな方との

対話を通じて

 

私なりにある仮説を

持つようになりました。

 

その人の性格って、生まれた時から

すでに備わっていて

 

もっというと、生まれる前から

決めていて

 

それらを予定通りに形成するために

 

親や養育者、地域社会などを

はじめとする環境や体験を

 

 

「選んでいる」

 

のではないかと。

 

体験そのものが、その人の

人格を決めるわけではなく

 

もともと、「ある気質」があって

そこから、同じ体験をしたとしても

 

どのようにとらえるかは、本人次第

なのではないかと思うのです。

 

クライアントさんや、受講者さんから

 

「子どものころに、家の外に出された」

 

という経験談を、かなり多く

聞く機会がありました。

 

言うことを聞かなかったり

悪さしたということで

 

ベランダや家の外へ

閉め出される、あれです。

 

物置に閉じ込められる

というのもありました。

 

※そういえば、子どものころ

近所の子が閉め出されて

 

よく泣きわめく場面を見たもの

ですが、最近はめっきり見なくなりましたね。

 

お仕置き、という概念も変わって

きたのかもしれません。

 

そもそも、お仕置きシステム

自体が減ったのかもしれませんね。

 

 

 

 

話を戻しましょう。

 

この、締め出しや物置封じなどの経験を

された方の話が興味深い。

 

その時、どうしたか、というのも様々でした。

 

星とにかく大声で泣き叫んで

近所迷惑になることを恐れた親が

しぶしぶ開けてくれるように仕向ける人

 

星さめざめと泣き、静かにそこに

居続けて耐え、親の許しが出るまで待つ人

 

星窓ガラスをたたき割って

強制入室を図った人

 

星いずれは開けられることが

わかっているので、空想にふけったり

ぼ~~っとして過して戻れるのを

のんびりと待つ人

 

星気にせずに、そのまま遊びに

出掛け、近所の友達と楽しく過ごす人

 

ちなみに、私も子どものころ

締め出し体験をした1人ですが

 

私の場合は旅に出よう

と思い立ち、そのまま

あてもなく近所をふらつきました。

 

が、サンショの木にたくさんの

アゲハの幼虫がたかっているのを

見たら

 

なんだか怖くなって、家に戻り

謝って入れてもらいました。

(旅の時間、10分・笑)

 

もちろん、この体験をした年齢や

頻度、その時の親の言葉・声のトーン

表情などで

 

受け取り方も違ってくるのは

間違いないと思いますが

 

いずれにしても、その体験を

自分が、どのように捉えるかは

 

やはりその人の気質がかなり

影響するのではないかと思うのです。

 

上に挙げたような、閉め出されてからの

行動に加え、その時、どんな気持ちだったか?

どんなことを思ったか?

 

というのを、聞いてみると

 

・自分は親から見放された

 

・自分が悪い子だから、

いらないと思われたのだ

 

・自分はこの家の一員なのに

家に入れないのは間違っている

 

・自分は、もっと親を喜ばせなければ

この家にいられない

 

・やっぱり、私は生まれてくる

べきではなかったのだ

 

・まあ、親もこうするしかなかったのだろう

気が収まればいいのだ

 

というように、解釈も人

それぞれ、かなり違います。

 

ただこれは、大人になって言語化

できるようになってから聞いたことなので

 

当初の本人にしてみれば、そこまで

自分の気持ちや受け止め方を

表層化できていたかは、別ですよね。

 

しかし、言語化できない年齢だから

こそ、本人の「信念」として

 

その後の生き方や、コミュニケーションの

パターンになるのだと思います。

 

ただ、この信念はこのように

「体験」そのものが作り上げる、というよりは

 

もともと根底にある

 

「世界の捉え方」

 

が発動する機会の1つである、

とも言えるのではないかと。

 

どんなところに生まれて

どんな家庭環境で育って

どんな体験があって

どんな親と関わって

どんなメッセージを受けて

 

そのメッセージをどのように解釈して

どのような人生シナリオをたどるのか

 

これは、本人の魂が決めている

のが、濃厚なのではないか?

 

というのが、最近の私の体験的感触

としてあるのです。

 

これは、人生がすべて選択不可能か?

とか

すべて決められているのか?

 

という概念としてとらえるのではなく

 

その人の人生における行動

選択は

 

魂的にオールOK

 

ということなのではないかと。

 

 

 

そして、人生の午後を迎えるころ

(おもに中年期に迎える人が多い)

 

さて、そろそろ展開をひるがえすかな♪

 

と言う具合に、人生シナリオを

起承転結で言うと

 

「転」の章を味わうところになるのでは

ないかと思っています。

 

この「転」の時期こそ、本人の使命

というものへの扉のノブに手をかける

みたいです。

 

この、「さて、そろそろ展開をひるがえすかな♪」

 

というのは、魂の声であって

 

実際の体験としては

 

「中年の危機」と言えることかもしれません。

 

今までの生き方のパターンでは

うまくいかなくなってきたり

 

「もうそのパターンはイヤだ」

 

と思うような状態になるみたいです。

 

だから、中年の危機とは

 

使命に目覚める、アラームなんじゃ

ないかと思っています。

 

孔子が論語で、50歳のことを「知命」と言いました。

 

知命とは、天命を知る、という意味です。

 

50歳くらいで、自らの天命を知る

と考えると、深くうなずかずにはいられません。

 

何が言いたいかと申しますと・・・。

 

 

生まれや、親や環境のせいにして

 

自分の可能性や、人生をディスカウントせず

 

自らが選んできたこと

 

歩んできたことを受け入れて

 

その可能性から、生きていきたいものですね♪

 

 

ということでございます。

 

人の魂の偉大さって、想像も

つかないほど、叡智に溢れたものだと思うのです。
 

というわけで、今日はこのへんで(^^