おしごとの場で


ひとりの従業員として


いちにちを

しづかに
微笑みを絶やさず

一心に
働いて過ごすのは

たいへん、こころに良くて


ほっ、と、する。



おしごと無い日のカフェリンさんにて。
ユラリトの世界のかけら展を観に。



わたしの
させていただいていることは


レジを打ったり
お客さまにコーヒーをお出ししたり

あたらしい商品をならべたり
POPを描いたり

時に、電話を取り次いだり

書類を切らさないように
在庫をまめに見たり

ときどき、窓を磨いたり
洗濯をしたり
埃を拭ったり


など

誰にでもできる、と考えられる
補助的なもの。



ユラリトさんの硝子の赤い薔薇の
イヤリング。



求められる、のは

正確さ、細やかさ
穏やかさ、明るさ
気配り、気働き



自身の考えを述べたり
意見を持ったり
それを主張すること、は

わたしの
しごと、には必要なく。



判断したり、
工夫をしたり
勉強をすることは
怠ってはいけないけれど。



それも、心地よい。



caferin さんにあたらしく
追加した、本やpostcard。




社員の、男性の方や
お客さまから

パートさん
パートのおんなのひと


あたたかく
接していただきながら




ときどき、失敗もしながら


判断を仰ぎながら


目立たぬよう
しづかに

遅滞なく
手を動かしていると


じぶんという
湿った、重たい動物は
消えてしまって


優しい、機械になったようで


ticktack
チクタク

ちくたく、日は暮れて。




週に2.3度
そんないちにちがあると


顔つきも
優しくなる、ような。




冬の穴、の会の招待状。
あした、投函の予定😊







そのむかし

ホームヘルパーとして

さまざなお宅に

食事作りや
お風呂や排泄の介助や
お掃除に

伺ったりしているときも


良い顔つきだった気がする。




けれど

死が近づく苦しみや
障害を得た悲しみや

年を重ねても、尚
家族と関係を修復できず
独りでいる、お寂しさや


精神が迷って
しんどい思いをされている方の

そばに何年かいたら


すこしく
悲しげな顔つきになって
しまっていた、ような
気が、する。



割り切れず

神さま
なぜ?

と、問いながら

家へ帰る日も増え。



生きることは

ただただ
祝福されることだけじゃ、ない

なのに、わたしたちは
生きていかねばならぬ




聖書をひらく日も多くなり。




I CH Iのともみさんが作られたアロマストーン。
枕元に。




空想家しお、の名前で


さまざまな表現を
つたないながら

している


この、日々は

わたしを
どんな顔にしていくのだろう。





この間、読んだ本に





たくさんのものを得て


まだ、それは
未消化で

ことばには
ならないのだけれど



自身の存在のよすがのために

表現を使ってはならぬ

と、いうこと、が

多分に
含まれていると思う。




そうなれば

顔つきは

どこか、インチキな
明るさや華やかさで

満ちるだろう。







ハナシは変わるが、


次女に
夜の街を歩きながら

木馬座暮らしの
結末を
おそるおそる
話したら



『さいこうの
少女漫画、やん!』

と言った。




否定されたのか?
と怯んだら



『あたしはそーゆーのが
好きだよ。
傷ついたひとが必ず
しあわせになるものがたり』



と、手をつないでくれた。







わたしは

選べず
ついた傷の

傷痕を隠しながら


ときに、それを
幸福なひとに
忌まわしい、と疎まれながら


しかし、恨んだり
怒りという刀を研がず

しづかに
優しい機械のように

ticktack
働いて
生きているひとが

しあわせになる
物語を書きたい。




中島みゆき嬢の

ファイト!


筋肉少女帯の

GURU 最終版

のように


優しく、



きらきらしくは、なく。





さて、なにがなんやら
わからない

独白のような

日記になり、お恥ずかしい。



ほどよく、曇ったにちようび。



あたたかくして



次女8歳の時の絵。
年賀状にした。



みなさま、良いいちにちを。





 
しお