【幸せ体重】について考えています。
体重。
色々ありますね、感じること、考えること。
例えば、体重計に乗った時には、数字。
鏡を見た時には、見た目の自己評価。
でね。
ほら、健康体重とか、いろんな基準がありますよね?
私、【幸せ体重】っていう、自分軸の体重みたいなのを、考えてみようかと思っていて。
例えば、自分の送りたいライフスタイルを、よく考えてみる。
で、自分の幸せってなに?ってことも、合わせて考えてみる。
今の私にとっては、
◎美味しいものを美味しく食べたい
◎日本に来た時とかは美味しいものを罪悪感なく味わって食べたい
◎山歩きや寺社仏閣めぐりが楽しめる体力を作りたい
◎朝はスッキリ起きて、夜はグッスリ寝たい
っていうのがあって。
となると。
体脂肪1㎤につき、毛細血管が1キロメートル、でしたっけ???
てことは、あまり体脂肪は増やさない方が、山歩きとかはしやすいよね。
あと、やっぱり、足腰の筋肉は、しっかりつけておきたい。
さらに、美味しいものを楽しく食べたい。
お腹いっぱいすぎて気持ち悪くなるのはイヤ。
食べる前はちゃんと空腹になっておきたい。
朝スッキリ起きるには、夜グッスリ寝るのが必須で、出来れば適度に空腹な感じで寝たいから、寝る何時間か前には食べ終えておきたい。
とかあるから、むしろ、カロリー制限とかよりも、運動とかをしっかりした方がいいような気が。
痩せたいとかいうのはさ、ある程度、文化的、社会的な刷り込みから来る感情的反射のようなもの、のような気がして。
例えば、鏡を見て
『痩せなきゃヤバい』
と感じる気持ちって、身体の内側から自然に湧き出すものではなくて、
記憶の中にあるデータをもとに、はじき出してる結論、そしてそこに紐付いている自己評価、からの、感情。
っていう構造になっているのかな、と。
つまり、身体が痩せたいのではなく、目(から入ってくる情報から考えた結論)が、痩せたい、なのかと。
ほら、よく、おなかが空いてないのに食べたくなる現象を
『目が食べたい』
とか言うじゃないですか。
あんな感じで、
『目が痩せたい』。
本当の身体からの欲求でなく。
それが証拠に、もしぽっちゃりが良しとされる文化圏なら、ぽっちゃりで自分を責めたり自己嫌悪したりはしないと思うんですよ。
よほど、そのせいで身体が病気になってしまった、とかでない限り。
今の私は、とりあえず、身体に不調もないし、食べ物も美味しく感じるし、不都合といえば坂道で息が切れるとか足が上がらなくなるとか長い階段を下りてきて足くじくとか、あとは日本だと買える服が少ない、とかぐらいかな。
緊急で食事制限する状態ではない。
でも、ダイエットアプリとかで
『今日の食事は◎◎キロカロリーオーバーです』
とか出ると、なんかつまんないというか、凹むんですよね…。
そういうの要らないなと。
このライフスタイルで、幸せで健康なら、それが私のベスト体重、なんだよなあ。
あとは体力つければいいだけのこと。
なんか、体重がぁーとか、カロリーがぁーとか、目が痩せたいとか、全部一旦やめて、身体の本当の声を、私の本当の気持ちを、もっと探ってみたくなった。
うん、なんか、そんな気がしてきた。
頭で考えた幸せから、
身体と心の内側から湧きあがってくる幸せへ、
もっと自分本来の感じ方へ、
切り替えていきたい。
文化的に、社会的に、押し付けられた『幸せ』は、いろんな条件がある。
年収だの、体重だの、スリーサイズだの、9号だの、数字が元になってるのが多いかなあ。
あとブランド。学歴。肩書き。
外から見てわかりやすいもの。
マスコミからの刷り込みとかもね。
そういうのから、自由に、なっていきたい。
だから、『幸せ体重』というものがあるなら、それは、あらかじめあるのではなく、幸せなライフスタイルの結果として出たもの、になるんだよな。
幸せに生きてる結果こうなりました、という。
うん、そういうことだ。
頭で考えて導き出されるものではないな、少なくとも私の場合は。