元海軍のおじいちゃんの近況 | kyupinの日記 気が向けば更新

元海軍のおじいちゃんの近況

今日は「元海軍のおじいちゃん」の近況である。

最初の記事は「ドグマチールと老人」。このおじいちゃんは今はドグマチールを服用していないが、一連のエントリのテーマがドグマチールなので、同じテーマに入れている。

このおじいちゃんは初診後5年くらい経つが今も元気である。元々小柄な体格で、さすがに5年も経つと少し小さくなったように見える。今も杖歩行は可能である。

ある日の話。

自己診断ですが、少しずつ能力が下がっていると思いますね。証券会社で資産運用をしているんですけど、以前より計算力が弱くなっている。

新聞は以前より読まないです。今は目が良くないので。テレビは見ています。ドラマなどの筋はわかります。自分では頭を使うのはとても良いように思います。脳だけでなく、体全体が活性化するように思います。

毎日、英語の講習を受けています。英語は外国人に教えてもらってますが、脳がとても動くようになりますね。今は血圧も安定してますね。今の生活はテレビと散歩と英会話です。


英語の話の際に、

戦時中の人はABCも知らんのですよ。英語は敵国のものだったので。私はその少し前の世代なので、英語も中国語もドイツ語も習いました。

特に中国語は人気が高かったですね。大陸に行く人も多かった。

当時、軍医が全然足りなくて、国立の医科大学だけでなく、臨時の国立附属医専ができた。これは4年制でした。旧制中学から入れました。

私は附属医専に合格し、数ヶ月は通ったのですが、中退しました。切ったはったは、自分には合わないと思ったからです。


ここで旧制中学から4修か5修で合格したのか問うと、

私は5修です。

と答える。

当時の国立医科大学は確か5年制だったと思います。その後、経済学部を卒業して銀行員になりました。

もし、附属医専を卒業していたら、先生のずっと先輩だったかもしれないですね(穏やかな笑顔)。


北杜夫の私小説の中で、斉藤茂吉が息子(北杜夫)が学問を受けぬまま、戦争に召集されるのを恐れ、東京大学付属医専を受けさせる場面がでてくる。彼は合格はするが、入学した後、茂吉が年齢を勘違いしており、

その年齢では召集はされまい。

と言い、無責任にも医専を中退させ旧制中学に復学させるのである。

戦前の旧制中学は当初は5年制であったが、その後、昭和18年から4年制に改められている。当時、4年でも5年でも進学できる時期があったようである。(北杜夫の本ではそのようなニュアンスで書かれている)。

北杜夫は旧制松本高校(今の信州大学・教養部)を卒業し、その後東北大学医学部に進学している。