忘れもしません21年前…
生後5ヶ月の長女を連れて、
美容室に行ってました。
急に目の前で噴水状の嘔吐をしだし…
もう慌てて美容室を出て小児科へ
白血球が異常値を示してるから
紹介状書くからすぐに大学病院へ行くように
言われ…
何がなんだか分からず
長男を実家に頼み
入院に必要な荷物を適当にバックに押し込み
一人で長女を連れて、大学病院へ
色々検査をされ、すぐに入院
2〜3日で帰れると安易に考えていました
今、思えば…
授乳時でさえ、おとなしく泣かない長女が
なぜか泣いていて…
きっと首が痛かったんだよね…
気づいてあげれなかった…
入院時の髄液の検査は問題なかった
けど、入院して24時間後…
長女は急変した…
痙攣が止まらない…
今まで熱性痙攣は経験があったが…
だいたい数分の短い痙攣
小児科の全ドクターが集まり
娘の周りはついたてをされ見えない
様子がおかしい
当時、病院内では携帯電話を使えず
公衆電話から実家に電話をかけようとするが
手が震えて10円が入らない
その時、偶然に親戚の叔母が来てくれて
エレベーターの横で泣きながら
電話をかけれずにいる私に気づいてくれた
おかげで実家にも連絡取れたが…
依然として娘は…30分経っても
どんな薬を使っても痙攣が止まらない
挿管して、強い薬を使うと言われた
小児の挿管なので、ICUの先生を呼ぶと言われ
挿管され、アンビューで呼吸をコントロール
そのまま検査、検査、検査
そしてICUへ
今ではワクチンが開発され
発症することはないが
長女は細菌性髄膜炎(インフルエンザ菌)に
罹患していた
もっと早く肺炎球菌ワクチンとHibワクチンが
開発され、接種していたら
娘は細菌性髄膜炎には罹患せずに済んだ
医師から助かるかどうかは厳しいと…
助かっても色々な障害が残ると…
耳が聞こえない…
みんなと同じような成長は望めない…
障害が残っても構いません
とにかく長女を助けてと嘆願した
私一人で帰宅した時、3歳の長男が泣いた
なんで長女をと一緒に帰ってこないのかと…
ICUの面会は1日1回、母乳を届けたいと
お願いして1日2回まで特例で許可がでた
ICUでは人工呼吸器を付けて
目を覚ませて泣かないように
ずーっと眠らせてると言われた
長女の顔は炎症で腫れ上がり
誰だかわからないほどになっていた
夜中も電話がなる為、電話の横で寝てた
緊急輸血しますとか…
もうなんでもお願いするしかなかった
そんな日々を数日送った
小児科の先生、ICUの先生のおかげで
一命をとりとめ一般病棟へ移ることができた
しかし、予断を許さない為
4人部屋を長女一人で使った
ベットの周りは機械機械機械
一日中鳴り響く機械音
そんな中、長女の容態も安定して
一つずつ機械も減っていった
週1回の髄液検査で数値を見ながら
少しずつ値が下がっていき
他の人と同室の4人部屋に移ることができた
その後、CRP24→1以下になり
無事に退院できた
6ヶ月の長女は首がすわらなくなっており
成長が大幅に遅れた
みんなとは違う…
それからも長女は体調は崩しやすく
体重は増えない、
週2〜3回は近位の小児科を受診していた
しかし、心配していた聴力も運動能力も
問題なく障害が残らなかった
奇跡だった
長女は大学病院で生まれ
大学病院で助けられて
今、その大学病院の医学部2年生となった
何か使命があるから生かされた命
人のために、恩返しをするよう
それだけ言って育てた
決して頭の良い子ではなかった
何度も何度も同じことを繰り返しさせた
自分で生きていく力を身につけて欲しくて
鬼のような母だったと思う
ワクチン開発がされてたら
長女は医師の道を志していない
長男も同様、長女が健康であったなら
医師の道を志していないはずだ
コロナウィルスも同じかもしれない
打つ打たない賛否両論あっていい
だが…
肺炎球菌ワクチンとHibワクチンの開発で
長女のように細菌性髄膜炎で命を落としたり
障害が残った子どもたちは
もういないそうだ
ある産婦人科の先生の架け橋で
命の恩人小児科の教授に
21年ぶりに再会できた
その時も、珍しい症例だったと
教授も当時のことを鮮明に覚えていておられ
更には、長女のフルネームまで覚えてあった
毎年、何千人もの赤ちゃんを救ってある
はずなのに…びっくりした
教授が知ってる細菌性髄膜炎に罹患した
赤ちゃんで医師を目指したり
医師になった人は3人いるが
やはり1人は聴力に問題あるそうだ
コロナウィルスで毎日悩まされて
先が見えない今
ただ…障害が残ると言われた長女
優秀ではなかった
ひたすらに努力したら道が開ける
少しでも誰かのお役に立てたらと思い綴った

