今年 とあるご縁で出会った方に

 

日本でのヨガの現状(=美とか健康のためだけが主流)を見れば

本当のヨガというものを伝えることが

どれだけ大事かと分かると思いますよ。

だからそちらへ進むことは大事だと思います。

 

というようなことを言われた。

 

というのも

自分という存在を揺るがした大きな転換期に

ヨガの先生になるためのコースで

はじめて通訳として関わったことがあり

「戻るべきところに戻った」と感じたことがあると言ったからだけど。

 

その時 そのコースでは 霊的な教えとしてのヨガを体系的に教えていた。

 

…といっても 二元的アプローチのもので

霊的に成長すべき自分がいて やがて悟りへとたどり着く…というような。

 

 

とにかく

ヒンズー教の聖者や神人に惹かれていた頃の 過去に 学んだことは

通訳としての仕事で大いに役に立った。

自分でも まるで水を得た魚のように感じたし

通訳している内容を きちんと理解していると感じていた。

 

 

 

ところが

その後 探求する心は 思わぬ転換を経験した。

 

自分だと思っていたものは 広がる方向で 

そうではなかったと分ったことだった。

 

 

自分というものはいない…ではなく

 

動いてさえもいない 単なる無機物でさえ

まさしく自分であり 疑いようもなく生きていること。

 ないではなく 在るという方向性で。

そして その後

どうしても知りたいと思っていたリグパ(源初の境地)

ずっと探し求めていたものは

常に変わらずにここにある気づきだという事に。

 

その頃の語彙をつかえば そんな風な説明になる。

 

 

そして

再び 先のコースの通訳をすることになった。

 

ところが

今度は なんと非二元の師がコースに加わっていて

私とは意識である

と教え始めたのだった。

 

 

言っていること分かる と思ったけれど

できれば この時は 通訳をしたいというより

ただただ話を聞いて浸っていたい感じだった。

 

 

 

 

 

そして 一番最初の話に戻るのだけれど
先程もお勧めしたこの本

(トニーパーソンのような容赦ない本もいいけれど

 こういう優しい静かな本もとても有難い)

 

 

 

これだよなぁ~と思った。

 

もし ヨガというものを伝えたいのであれば

この本だよなぁ~。


 

ヨガという言葉の意味は何か?

という質問が 先のヨガコースに出てきた。

 

融合することなどという翻訳語もあるが

最初から一つであるものが融合などできない。

 

ヨガとは 非二元 二つに非ず

それが本質であるように思う。

 

 

さてさて なんか偉そうに言っているけど

 

自分という実体はいない

この世界に確固とした本質はない

常にプロセスがあるだけ

私(主体)と他者(客体)という二つがあるのではない

 

…といったことが完全に腑に落ちるのを待っている私。

 

 

 

とても楽になったことは確実だけれど

 

探求が終わった訳でもなく

実は何かが分かった訳でもない。

 

 

 

そういえば

この旅路で触れたこと

随神(かんながら) 神の思召すままに

 

 

分からないという中で

どれだけ 手放しができるだろうか

(あるいは 手放しがおこるだろうか?)

 

安心して ただ生きることができるだろうか?

(あるいは ただ生きることが起こるだろうか?)

 

 

それが完全にできる(起こる)のは

やはり 私というものは本当には存在していなかった

本当は何も分からないのだと 

腑に落ちた時なのだろう。