敬愛する 高木さんは ご自身のブログの中で
悟る人間がいない と言うことを 知るのが 悟りなので
私は悟りました と言うのは おかしいのだけど
「高木さんは 悟っているのですか?」と 聞かれれば
この分野でのお付き合いとして はい と答えます
みたいなことを 書かれていたことがあります。
絶対的(非二元)の見地から言えば 悟る人がいない ということが 悟りなので
悟った人間がいると言うことは おかしいのだけれど
相対的(この世的)な世界での 会話や付き合いでは
そんなことを 話し始めたら 埒が明かないし
悟っています と 便宜上 いう事もあるということですね。(^^)
高木さんが 関われらた本も ご自身の著書も 素晴らしいのですが
特に ご自身の著書 「人をめぐる冒険」に関する 過去記事の一部を 掲載します。
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旅の過程で お世話になっている方々のお一人 として
今日は 高木さんの著書 人をめぐる冒険 を取り上げてみたいと思います。
この本の あらゆる観念は薬である という章
この観念は 教え といっても良いと思いますが
真理 人間 宇宙の事象についての 観念(教え)は
球体を 切ったときの 円のように
無限に近い表現が 可能になりえると 説明されています。
ただ 言葉は その性質として どうしても限界があります。
もともと 相対的(二元的)な世界に属するものなので
それを超えたものを 表現しきれないからです。
でも 人間は それを使って 語る宿命があると 高木さんは おっしゃいます。
便利だけど 不便な道具です。でも 確かに言葉って 大きな部分ですもんね 人にとって。
本当は 「AはBであり 同時にBでない」と言うのが 真理に近いのですが
それでも 真理を表現したことにはならない。
でも そんな言い方では 普通 話が通じませんから
AはBである とか AはBではない と どこか一部を強調するしかなくなる と……。
こうしてブログを書いていると とても感じるのですが
言葉って 本当に不便です。
固定できないものを 固定する作業ですから
一つの言葉で言ってしまうと それ以外が 除外されてしまう。
話している内容によって 同じ言葉の意味が 全く違って 使われている場合もあるし
人によって 言葉の定義(イメージ)が 違っていることもあり
とても もどかしい所もあります。
そして
どんな素晴らしい観念(教え)も 真理の一部にしか過ぎない。
人にとって 観念(教え)とは 自分を形作る道具 であり
着ている洋服のようなもの であると同時に
自分を癒す薬 のようなもの。
だから 必要がなくなったり 効かなくなれば 飲まなくていい。
人と状況によって 必要な薬も違うだろうし
飲み方によっては 毒になる可能性もある。
ということを 高木さんは おっしゃっています。
何か分からない事があれば “グーグルラマ か グーグル神 に聞け”
と転生ラマの方達が おっしゃるほど
ありとあらゆる情報(観念)の入手が 可能な時代 だからこそ
こういうことを 心に留めておくのは 大事なことなのかな~ と思います。

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悟る人間がいない と言うことを 知るのが 悟りなので
私は悟りました と言うのは おかしいのだけど
「高木さんは 悟っているのですか?」と 聞かれれば
この分野でのお付き合いとして はい と答えます
みたいなことを 書かれていたことがあります。
絶対的(非二元)の見地から言えば 悟る人がいない ということが 悟りなので
悟った人間がいると言うことは おかしいのだけれど
相対的(この世的)な世界での 会話や付き合いでは
そんなことを 話し始めたら 埒が明かないし
悟っています と 便宜上 いう事もあるということですね。(^^)
高木さんが 関われらた本も ご自身の著書も 素晴らしいのですが
特に ご自身の著書 「人をめぐる冒険」に関する 過去記事の一部を 掲載します。
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旅の過程で お世話になっている方々のお一人 として
今日は 高木さんの著書 人をめぐる冒険 を取り上げてみたいと思います。
この本の あらゆる観念は薬である という章
この観念は 教え といっても良いと思いますが
真理 人間 宇宙の事象についての 観念(教え)は
球体を 切ったときの 円のように
無限に近い表現が 可能になりえると 説明されています。
ただ 言葉は その性質として どうしても限界があります。
もともと 相対的(二元的)な世界に属するものなので
それを超えたものを 表現しきれないからです。
でも 人間は それを使って 語る宿命があると 高木さんは おっしゃいます。
便利だけど 不便な道具です。でも 確かに言葉って 大きな部分ですもんね 人にとって。
本当は 「AはBであり 同時にBでない」と言うのが 真理に近いのですが
それでも 真理を表現したことにはならない。
でも そんな言い方では 普通 話が通じませんから
AはBである とか AはBではない と どこか一部を強調するしかなくなる と……。
こうしてブログを書いていると とても感じるのですが
言葉って 本当に不便です。
固定できないものを 固定する作業ですから
一つの言葉で言ってしまうと それ以外が 除外されてしまう。
話している内容によって 同じ言葉の意味が 全く違って 使われている場合もあるし
人によって 言葉の定義(イメージ)が 違っていることもあり
とても もどかしい所もあります。
そして
どんな素晴らしい観念(教え)も 真理の一部にしか過ぎない。
人にとって 観念(教え)とは 自分を形作る道具 であり
着ている洋服のようなもの であると同時に
自分を癒す薬 のようなもの。
だから 必要がなくなったり 効かなくなれば 飲まなくていい。
人と状況によって 必要な薬も違うだろうし
飲み方によっては 毒になる可能性もある。
ということを 高木さんは おっしゃっています。
何か分からない事があれば “グーグルラマ か グーグル神 に聞け”
と転生ラマの方達が おっしゃるほど
ありとあらゆる情報(観念)の入手が 可能な時代 だからこそ
こういうことを 心に留めておくのは 大事なことなのかな~ と思います。

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