高木悠鼓さんには まだ直接お会いした事はありませんが
私は 多分18年くらい 高木さんが関わられたものに お世話になっています。(有難い)
現在は閉鎖されましたが マホロバアートという 出版社の代表をされていて
素晴らしい本を 出版されていました。
今も 本の出版に関わられていて
ご自身も 素晴らしい本を書かれていますし
アジャシャンティ バルセカール セイラーボブ ダグラス・ハーディング といった
優れた非二元の師の本も 訳されています。
アジャの本を 高木さんが 訳されると知ったときには
嬉しくて 心の中で 拍手をしてしまいました。о(ж>▽<)y ☆
コンサルティングもされていますし
まだ ご存じなければ 高木さんのブログ シンプル堂サイト を 是非 ご覧になってください。
私にとって シンプルで 淀みがなく 新鮮で 広くて深い 高木さんの書き物が 大好きです。
旅の過程で お世話になっている方々のお一人 として
今日は 高木さんの著書 人をめぐる冒険 を取り上げてみたいと思います。
この本の あらゆる観念は薬である という章
この観念は 教え といっても良いと思いますが
真理 人間 宇宙の事象についての 観念(教え)は
球体を 切ったときの 円のように
無限に近い表現が 可能になりえると 説明されています。
ただ 言葉は その性質として どうしても限界があります。
もともと 相対的(二元的)な世界に属するものなので
それを超えたものを 表現しきれないからです。
でも 人間は それを使って 語る宿命があると 高木さんは おっしゃいます。
便利だけど 不便な道具です。でも 確かに言葉って 大きな部分ですもんね 人にとって。
本当は 「AはBであり 同時にBでない」と言うのが 真理に近いのですが
それでも 真理を表現したことにはならない。
でも そんな言い方では 普通 話が通じませんから
AはBである とか AはBではない と どこか一部を強調するしかなくなる と……。
こうしてブログを書いていると とても感じるのですが
言葉って 本当に不便です。
固定できないものを 固定する作業ですから
一つの言葉で言ってしまうと それ以外が 除外されてしまう。
話している内容によって 同じ言葉の意味が 全く違って 使われている場合もあるし
人によって 言葉の定義(イメージ)が 違っていることもあり
とても もどかしい所もあります。
そして
どんな素晴らしい観念(教え)も 真理の一部にしか過ぎない。
人にとって 観念(教え)とは 自分を形作る道具 であり
着ている洋服のようなもの であると同時に
自分を癒す薬 のようなもの。
だから 必要がなくなったり 効かなくなれば 飲まなくていい。
人と状況によって 必要な薬も違うだろうし
飲み方によっては 毒になる可能性もある。
ということを 高木さんは おっしゃっています。
何か分からない事があれば “グーグルラマ か グーグル神 に聞け”
と転生ラマの方達が おっしゃるほど
ありとあらゆる情報(観念)の入手が 可能な時代 だからこそ
こういうことを 心に留めておくのは 大事なことなのかな~ と思います。
私は 多分18年くらい 高木さんが関わられたものに お世話になっています。(有難い)
現在は閉鎖されましたが マホロバアートという 出版社の代表をされていて
素晴らしい本を 出版されていました。
今も 本の出版に関わられていて
ご自身も 素晴らしい本を書かれていますし
アジャシャンティ バルセカール セイラーボブ ダグラス・ハーディング といった
優れた非二元の師の本も 訳されています。
アジャの本を 高木さんが 訳されると知ったときには
嬉しくて 心の中で 拍手をしてしまいました。о(ж>▽<)y ☆
コンサルティングもされていますし
まだ ご存じなければ 高木さんのブログ シンプル堂サイト を 是非 ご覧になってください。
私にとって シンプルで 淀みがなく 新鮮で 広くて深い 高木さんの書き物が 大好きです。
旅の過程で お世話になっている方々のお一人 として
今日は 高木さんの著書 人をめぐる冒険 を取り上げてみたいと思います。
この本の あらゆる観念は薬である という章
この観念は 教え といっても良いと思いますが
真理 人間 宇宙の事象についての 観念(教え)は
球体を 切ったときの 円のように
無限に近い表現が 可能になりえると 説明されています。
ただ 言葉は その性質として どうしても限界があります。
もともと 相対的(二元的)な世界に属するものなので
それを超えたものを 表現しきれないからです。
でも 人間は それを使って 語る宿命があると 高木さんは おっしゃいます。
便利だけど 不便な道具です。でも 確かに言葉って 大きな部分ですもんね 人にとって。
本当は 「AはBであり 同時にBでない」と言うのが 真理に近いのですが
それでも 真理を表現したことにはならない。
でも そんな言い方では 普通 話が通じませんから
AはBである とか AはBではない と どこか一部を強調するしかなくなる と……。
こうしてブログを書いていると とても感じるのですが
言葉って 本当に不便です。
固定できないものを 固定する作業ですから
一つの言葉で言ってしまうと それ以外が 除外されてしまう。
話している内容によって 同じ言葉の意味が 全く違って 使われている場合もあるし
人によって 言葉の定義(イメージ)が 違っていることもあり
とても もどかしい所もあります。
そして
どんな素晴らしい観念(教え)も 真理の一部にしか過ぎない。
人にとって 観念(教え)とは 自分を形作る道具 であり
着ている洋服のようなもの であると同時に
自分を癒す薬 のようなもの。
だから 必要がなくなったり 効かなくなれば 飲まなくていい。
人と状況によって 必要な薬も違うだろうし
飲み方によっては 毒になる可能性もある。
ということを 高木さんは おっしゃっています。
何か分からない事があれば “グーグルラマ か グーグル神 に聞け”
と転生ラマの方達が おっしゃるほど
ありとあらゆる情報(観念)の入手が 可能な時代 だからこそ
こういうことを 心に留めておくのは 大事なことなのかな~ と思います。