人生 自分が好むと好まざると 起こることが起こり それ以外のことは起こりません。

今日の記事には 最初の体験までのことを 書いてみたいと思います。


随分と長い間 違う方向で 本当の自分探しをやりました。
この二元性の世界の中で 何とか 見つけようとしていたのですが
色々な体験をして楽しかったけれど 探求は果てなく続いていた って感じです。

流れが 大きく変わったのは 自分の人生にある程度 満足している時でした。
恵まれていると言うか ごく普通ですが 幸せな人生を送っていますので
どうしても抜け出たい苦しみが あったわけではありません。
そんな私には 自我がある程度成熟して 人生の機が熟するということが 必要だったのかもしれません。
外国に住んでいるけれど この場所が 我が家だと 凄く満足していた時です。

迷子になった幼い子が 親を求めて泣くような 
家に帰りたいという 切ない願いが 突然 自分の奥底から 沸き起こってきました。
そして 同じ日に その意味もよく分からないまま
計らずも “何も願わなくなりますように” という願いをかけてしまいました。

生まれて初めて ダライラマの講話に 参加でき 一日中 涙が止まらなかった日もあります。
その数年前 私の夢の中で 峠のところで 従者と共に私を待っていてくれたのが ダライラマ14世でした 

また 目の病気になった時 この自分(身体)は必ず死ぬんだ と実感した日があり
自分にとっては 恐怖のその数日の間に ほんの一瞬ですが 理由のない幸せを 感じました。
数秘学では 崩れる塔 というのに あるのですが
今までの価値観(固定観念)が崩れ去り うまく行けば 瓦礫の中から 不死鳥のように立ち上がる
(飛び立たないんですかね? ←セルフ突っ込み)
という年に あたっていました。

優柔不断な私ですが 非二元の教えこそが という境地になった年でした。
(瓦礫の間から 光が見えた状態?立ち上がってもいませんね~)
それが 以前の記事で書いた “やっと足並みが揃ったな”って 旦那に言われた頃です。

その後 ある日 ただのプラスチック製の椅子が 輝いて見えました。
自発性(外部からの影響ではなく自然に行われること)を 見知らね少女に見て
私達は ForgiveとAllowという二つの意味で 許されている という理解が 湧いてきた日でした。
それは 理屈も何もなく ただ分かるという体験です。

それからも 相変わらず グルグルやってました。
何度も 自分の中に答えを見つけなきゃ と思うのですが
不安になって つい 情報収集をしてしまう。
ゆだねなければ と思っても 手放せない。
頭では十分すぎなほど 分かっているんだけど 本当には分からない。
そして 直接体験というものがなければ 私には理解できないとか
様々な思い込みに 囚われていましたが あるとき 転機が訪れました。

阿部さんと 黒斎さんの 降参のススメです。
本は十分読んだし あのふざけた表紙(失礼)です。
頭は もういいよ っていうんですが 何か別のところが でもね~買おうよ~っていってる。
つい誘惑に負けてしまって……

もう思いっきり脱力してしまいました。
それまで マジになって張り詰めていた物が シューって 凹んじゃった。
なんか 憑き物が落ちて すっきりー というか。

そして 一旦 自分の知ってること 学んだことを 全部 捨ててしまおう 
という 思いが ストンと 腑に落ちました。

ああ 有難い。

こういうことが 数年の間に 起こってきました。

そして この後 1度目2度目の体験へと 続いていったんです。