普通、自我・エゴ・個我っていうのは、不平不満がある。
より良きものを獲得しようとする性質があるから
現状で満足していられない。
より良きものを求める事が、悪いというわけじゃない。
そちらにばかりフォーカスしてしまうと
ないものばかりが目に付き
ついつい、感謝の気持ちを忘れてしまう。

別にたいしたことじゃなくて良い。
今、ここにあるものを、もう一度ちゃんと見てみると
あら不思議、なんて満たされているんだろう~ってことに気がつける。

一時、シャワーを浴びるたびに、なんて有難いんだろう~って思っていた。
この広い世界では、毎日、浴びたい時間に、ちゃんと暑いお湯が出て
シャワーを浴びれる人口って言うのは、非常に少ない。
ぼけているのでガーン、すぐ昨日の事を忘れるから
次の日も、また次の日も
ああ、有難いな~と思ってた。

その流れで、ベッドに入ってから、感謝を捧げようとしたら、出てくる出てくる有難い事。
例えば、最初は、誰それさん有難う、なんて始まる。
その人が、直接間接的にしてくれた、嬉しい事も嫌だと感じる事も、結局は有難い。
そうやっていると
今度は、その誰それさんの体を支えてくれている、色々なものがあることに気がつく。
食べ物もそう、着るものもそう…
食べ物があるから、その人の身体が存在できる。
食べ物だって、他のいろいろなものがあるから、存在している。
基本的な細胞って言うものとかもないと、私達は存在できない。
空気も水も太陽も…
それを一つ一つ、ありがたいな~と思っていると
際限がないので、いつの間にか o(_ _*)oぐぅぐぅ…で、朝になる。

私は自己中なので、自分ひとりで生きているような気になることがある。
そういう傲慢な気持ちと一体化して、気づかないままでいると
感謝の気持ちが勝手に湧いてきて、お~い、そうじゃないだろう~って呼びかける。

それに、ちゃんと見てみると、際限なく、他のものに支えられて
今ここに、自分は存在している。
あらゆるものが、色んな風に繋がっている世界で
何処からどこまでが自分なのだろう?

お蔭様で、生かされている。
特別ではない日常は、本当は奇跡的なことなんだな。


永遠不変のそれ から、あらゆる形で存在しているもの まで、全部丸ごと、有難う。
本当にお蔭様です。ドキドキ