
「今一度申しますと、《霊界からの単独念波だけでは、弱くて断絶し易く脆(もろ)い。
然し、人間界から発する念波と合同交流して、始めて強烈な霊波が完成》する。
然も、《一旦交流に成功すると、水道の水と同じ様に、蛇口を捻ると直ぐに水が吹き出す様に、同じ霊波が必ず流れて来る》。
《霊界から送り続けられる想念や怨念が恐ろしい程に人間界への影響力を持つ》事がお解りに成るでしょう。
《其の典型的なものが、"死霊に取り憑かれた自殺者や霊障に因る病の苦悩"、"怨霊に因る闘争者の憑依"、更に"霊界人の恨みに因る倒産や貧の苦しみ"》…こう言った《諸々の現象の殆どが、霊界の地獄から送られ続けている想念に人間界の意念が合流合作》する。
従って、《霊界と人間界の接点は、此の想念の質の良否に因って、大きく決定付けられて行く》事に成るのです。
つまり、《地獄に堕ちる者は、地獄に合う想念を持ち続け、常に地獄から発せられている霊波…エネルギーと合流する。
そして死後、地獄へと堕ちて行く》。
此れは《決して偶然では無く、必然の結果に拠る》ものなのです」
《人間の意思的行為が地獄を創り出し、地獄からの発信せられる霊波…エネルギー…と合流し強烈な業(カルマ)を造り、想念の塊と成って、更に己れを締め付ける》。
質の良否…つまり《悪因縁が悪果を齎し、反面善因が善果を決定付ける》。
《現世での人間の生き方が、因果を堆積し、其の比重の軽重に因って、己れの死後が定まると言う…矢張り、青年も『業(カルマ)の世界』を此の様に説いた》。
「真にお恥ずかしい事に、此れに気が付くのに八百年の歳月を費やしました。
私は源平の合戦に敗れ…恩讐の彼方に彷徨い乍ら…今、思っても…お恥ずかしい限りであって…何れ私の任務が終了する時に…身分を明かさせて頂きましょう…貴方様には、どうぞお気に為さらずに…私の仕事を完了させて下さい」
其の時…私の胸の内に、何か強烈な電光が突っ走った。
若しかすると…青年の横顔を覗き込み乍ら…何処かで見覚えの有る…何とか思い出そうと必死に藻掻く私であった…。
でも、其れをお尋ねする事は、今の彼には相応しく無い。
何れ彼との長い会話の中で、彼自身の身分も明らかと成ろう。
其の時が来る迄は詮索すまい…そう心に決めて…其れでも何故か、此の青年の優しい心遣いに有難く、深い友情の絆に感謝する私と成っていた。
「近代に於ける心霊研究の実態を八百年前の人間がどうして知っているのかと、先程来疑問を持たれていましたね。
此れに就いては、今お答えして置きましょう。
地獄第七層には、地獄の住人を教育する学校が有ります。
何れ詳しい事は、御案内申し上げた上でと思っておりますが、其処には図書館も有り、幾多の書物が既に収納されています。
《原稿は霊界の担当官が、其の専門専門の分野で検討し、テレパシーを現界に送る。
現界では、其れ等の事を書き記す使命を持った者が、学術的に…と言っても、其の殆どが『閃き』ですが…之を写し取る》。
そして、現界で書物に成ったものは、殆ど茲の図書館に収納されているのです。
従って、現界で成されている降霊会の記録や心霊実験の記録等は、殆ど読み取る事が出来る。
そうそう…貴方様のお書きに成っている、総ての記録は、貴方様の師匠…つまり大神様の御許しの出ているものとして、此れが貴重な資料と成って霊界各層の図書館に収納されている事を付け加えて置きましょう…」
青年の言葉に、思い掛けない事実を教えられて、私の使命の重要さを再認識させられると共に、不勉強な私に託された師匠の思い遣りを、今更乍ら有難く身に滲みて感謝し、自らの天命を筆に託して、素直に霊界探訪を完成させねば成らないと堅く決意した。
霊界から幽界を経て、青年と私の二人が連れ添って、弁護士の臨終の現場へと駆け付けたのは、其れから間もなくの事であった。
死亡した弁護士の病院に案内された私は、青年の誘導に因って外科病棟の一室へと辿り着いた。
二階の個室…陽当たりの良い特別室である。
幸い空室と成っている。
幽体を着して、弁護士に成り切った青年は、其のベッドの上に横たわり、死亡当時の現場を再現すると言うのである。
枕元には花瓶が置かれ御見舞いの人が投げ入れて行ったものであろう…紫陽花が美しく飾られていた。
風止(ふと)見ると、死亡当時の現場がくっきりと私の眼に蘇っていた。
ベッドの周囲を取り囲む様に六人の家族の者が、顔を青褪(あおざ)め心配そうに見守っている。
置時計は既に午前四時十五分を指していた。
突然、「ワッ…」と泣き出したのは、三姉妹の末娘である。
「お父ちゃん…死なないで…死な…ないで…」
ベッドの頭の方の柱を両手で拝む様に掴み、其の場に泣き崩れた。
嫁ぎ先から駆け付けた長女の顔が強張る。
次女は臨終間際の父の顔を覗き込む様に、目尻を引き攣らせ痙攣させている。
妻は弁護士の右手を両手に抱き込んで無意識に自分の親指を噛んでいる。
病室の片隅で痛々しい程おどおどとしている老夫婦…実の我が子に先立たれる間際の不安と焦燥。顔を俯せ、時折怖いものを見る様にして、覗き込み顔色を失っている。
慌ただしく入って来た看護婦と当直の医師。
然し、其の時、既に縡(こと)切れていた。
医師は脈をとって瞳孔に懐中電燈を当てた。
暫くして…「力及ばず…御臨終で御座います…お力落としの御座いません様に…」
医師を呼びに行った長女の夫が、医師の後に佇み茫然としていた。
一瞬皆泣き崩れた。慟哭·嗚咽·戦慄(わなな)き…。
此の世の悲しみが一度に噴き出した様な断末魔。
一人、弁護士の妻のみ唇を引き締めて体を崩さなかった。平然と臨終に立ち会っていた。
死因は、門脈性肝硬変症。
俗に言う、肝硬変。
五十五歳の短いエリートの死であった。
劇的な死の瞬間…其れは肉体から幽体が切り離される一瞬である。
誰しも一度は必ず通過せねば成らない肉体的死の苦しみ、然も長い闘病生活をたった一人、己れと闘い抜いた死への旅路。
今は空しく力尽きて、死への恐怖も、生への執着も此の一瞬に総てが精算されて、総てが麻痺し、何か強烈な衝撃が激痛を超えて、魂の奥に明らかに覚醒している。
確かに観念の奥で生から死への…でも、死んでは成らない、死にたく無い願望が…幽かに生き続けて、永遠の生への執着が朦朧とした意識の中で、一点の灯りを点(とも)している。
間もなく深い眠りに落ちる寸前の瞬きに似た束の間…想念の深くに宿されている、過去の一切の経験が自分の意志とは無関係に、幻想の映像の世界と成って、走馬燈の様に自らの歩み来た歴史のページを捲(めく)る。
自分の希望する事とは拘り無く、想念のみが独り立ちして、意識が有るかと言えば無く、無いかと言えば有る…此の時、霊の声も聞こえるし、未だ嘗て見た事の無い風景にも遭遇するし…でも、何処かで見覚えの有る不思議な光景…。
思う存分に食べられる。
味も香りも満たされた中で、今迄の不足を充分に補う事も出来る。
体は完全な五体に及び、勿論五臓を持つ。
不思議にどんな硬い物質も難無く自由に通過する。
歩ける…間違い無く頭を上に、足を地に付けて確かに歩いている。
《意識が霞む…遠い遠い死の世界に引き込まれて…家族の悲しみの泣き声も微かに魂の耳の底に聴き分けられて…でも虚ろな世界で…死の苦しみから解き解される歓びに…悲しみは無い》。
《どうして泣くのであろう。
家族が遺体に縋って号泣する声が、此の心地良さに執って迷惑な騒音…其の泣き声の煩わしい事。
之程、軽快な惟程清々しい感覚に未だ嘗て触れた事も無く…兎に角、そっとして置いて欲しい。》
御託を並べんで欲しい。
《家族の泣き入る声が、極めて鋭敏に成った感覚を鋭く刺激する…ビンビンと響くし、痛い》。
そっとして置いて欲しい…。
ベッドに横たわる弁護士に成り済ました青年が頻(しきり)りに、其の側に佇む私へ"死の瞬間"に対する意念を送り続けてくれていた。
―以下つづく―