
何度も生まれ変わり死に変わりし乍らも、何故、我々は懲りもせず再び地獄へと堕ちねば成らぬのか?
「俺は、私は地獄とは関係無い…そんな處に堕ちるのは神様を信じていないか、"この世"で法律を犯した悪人だけの話だ」…と、大多数の人々は死んだら途端に天国で眼を覚ますと盲信しているのかも知れませんね。
本当にそうなんでしょうか?
"法律に触れなければ、我々は全て善人"と保証されるのでしょうか?
法律とは飽く迄、"この世"の時代に適応しただけの、人間同士が作り互いが無事に社会生活を営み得る様にしただけのものに過ぎないのに、霊界でも地上と同じレベルで通用すると本気で思っているとしたら、霊界が在ると信じた時点で少しは考えねば成らなかったのではありませんかね…。
そんな人間に都合良い訳は無いのです。
ではどんな人が堕ちるかと言えば、貪欲·瞋恚·愚痴の深度に因って…と以前にも申しましたが、今回はもう少し具体的に語りたいと思います。
実は地獄より少しだけ楽なのは『餓鬼道』なのだそうです。
十界互具の中でも『地獄道』と『餓鬼道』とは別に区分されて居ますが、実は《餓鬼の世界も地獄の世界に含まれる形で存在している》と言います。
貪欲·瞋恚·愚痴の内《貪欲が激しい者は殆ど『餓鬼道』行き》と成る様ですが…ともあれ、なるべく低い地獄にだけは落とされない様に、此の際少しでもどんな者が地獄行きに成るのかを、白日様が語られているので、お伝えしたいと思います。
好く《人間の『身·口·意(みくい)』の犯す罪に因って人は地獄に堕ちる》と言われますが、其の内容は普通に考えるのと大分違うのが、現実世界に在る地獄なのです。
正しい意味合いを、此の際確認して、残り僅かな現界の人生に役立たせて欲しいものです。
「こんな筈じゃ無かった」
と少しでも言わないで済む様に…。
人が罪を犯す具体的な場所が《身口意》です。
『身』即ち《身体で犯す罪の第一は『殺生』です》…人を殺す事だけが殺生ではありません。
《魚を殺めるのも殺生だし、鳥を殺す事だって殺生》ですから。
二番目が『偸盗(ちゅうとう)』です。
『偸盗』は人のものを盗む事ですが、《物を盗む》だけが偸盗ではありません。
《人の名誉を盗む事》も霊界では重い罪と見做されているのです。
最近では『名誉毀損』と言う事が人の人格を傷付ける罪として漸く認知されて来た様ではありますが、霊界では昔から大きな罪と見做されて、地獄行きの条件に成っていたのです。
やっと人間界も目に見えて成長して来たと言う事なのでしょうか…。
又《人の時間を盗む行為言動》も大きな罪と見做されていると言います。
他所(よそ)に行って、相手はいい加減もう早く帰ってくれれば良いのにと思っているのに、何時迄も駄法螺を吹いて居座ったりするのも、相手の時間を盗んでいる事に成るのです。
自分が暇を持て余すからと言って、自分の都合だけで相手の時間を弄くるものでは無いと言う事です。
こんな些細な事で人は地獄に堕ちる事も有るのですよ。
本人はちっとも悪い事をしている積りがありませんから、地獄で目覚めてから、不条理な仕打ちと嘆くでしょうが、霊界目線では性懲りも無く罪を犯し続けて来た人生だったと言う事に成るのです。
《霊界に対して、面白半分興味半分で、少しもまともに真剣に霊界事情を知ろうとしなかった事を反省しても、地獄に堕ちてからでは遅すぎる》のです。
そして身体の犯すもう一つの罪は『邪淫』です。
身体が犯す三つの罪は
『殺生』
『偸盗』
『邪淫』
『口』…口で犯す罪は、先ず『妄語(もうご)』です。
妄(みだ)りな言葉、つまり《嘘を付く事》です。
解説する迄も無い訳ですが、例え《悪気が無くても、嘘は嘘》なのです。霊界は容赦無き世界であると言えば、其れ迄ですが、人間が勝手に都合良く考える様な甘く扱ってはくれ無いと言うだけの事かも知れませんね。
二番目が『綺語(きご)』。関西風に言えば《おべんちゃら》の事ですね。《おべっか》を使うのも地獄へ行く可能性が高いと言う事ですね。
心にも無い"おべっか"を言って相手を持ち上げ、陰で馬鹿にするなんて好く遣っているかも知れませんけど、其の度に地獄への予約券を、嬉々として購入しているとも言えますね。
三番目が『両舌(りょうぜつ)』、所謂《二枚舌を使う事》ですね。
四番目が『悪口(あっく)』です。
冗談でも他人の悪口なんて言うものでは無いのです。
何かと言うと其の人の行為行動を否定する方が居ますが、そうして相手を貶めて優越感に浸っている内に地獄の土壺に嵌まり込んで抜き差し成らん様に成って行くのです。
後は死んでから、理由も判らないで地獄に落ちた等と嘆くのですが、毎日少しづつ地獄行きの確約書に、自分で歓び乍らサインしていただけなのですね。
此の四つが『口の犯す罪』に成ります。
『妄語』
『綺語』
『両舌』
『悪口』
そして『心』の犯すのが、以前述べた様に三つが『心の犯す罪』に成る訳です。
『貪欲』
『瞋恚』
『愚痴』
貪り、怒り、愚かさです。
白日様はこんな具合に仰有いました…貪りの中に於いても、お金が欲しいのも貪りなら、名誉の欲しいのも貪りじゃ。
不思議なものじゃ…世の中は、少し爺(じじい)に成って、少し色気が無くなると不思議に勲章を欲しがりやがる。あんなものは玩具屋で売っているのに、不思議に欲しがりおる。あれも名誉の貪りじゃ。此れも立派な貪りの内じゃぞ…と。
又、世の中には《卑下慢(ひげまん)》と言う人が案外多く居ます。
「私はこんなに悪い人間で、悪い人間で、未熟な人間で…」なんて自慢しているタイプですね。其れも貪りの心の顕れですから…。
其れから、《怒りと言うも単純に直ぐカッと成り顔に直ぐ出て睨み付ける様な単細胞的怒りだけでは無いのです》から、難しいのです。
正義心、義侠心、道義心が強く、悪を憎む余り卑怯者、分からず屋の政治家が許せず…と《義憤を感じると言うのも、"怒り"には変わりは無い》のです。
だから本当に難しいのですね。
正しければ罪が免除されると言う訳には行かないのです。罪は罪なのです。
人間は正しければ何でも許されて仕舞うと、愚かにも考えて仕舞う甘い所が有ります。菩薩と雖も、人様から盗めば一瞬にして泥棒なのです。
神と雖も人殺しは人殺し…人殺しをさせても、矢張り只の人殺しとして、一瞬で地獄の最下層に落されるのです。
高い世界に居た分だけ低い地獄に落されるのじゃよ…と白日様は仰せでした。
こうして義憤を感じる方も、只の怒りだし、ものを正しく見ようとしない、自分の都合で歪んで観て仕舞う愚かさも只の愚かさと言う罪なのです。
知恵、知識と言うものが欠けても、ものを正しく見られなく成ります…判断に誤りが出て仕舞う。
部分しか観えない者…全体が観えない者は当然に、判断が狂って仕舞います。
目先しか観ない者、十年先が目通せない者の判断は狂って当然なのです。
其れを俺は知性が充分有るから誤り無し等と思い込むのも愚かさと言うのです。
人は所詮『有漏知(うろち)』なのです。
其れを《自覚出来るか否かは重要な事》なのですね。
実は、『自覚から高き世界への展望が開けて来る』のです。
《身体が三つ、口が四つ、心が三つ、合わせて『十悪』》と言うのです。
そして、此れが地獄へ行く条件に成るのですから、ひょっとしたら、此の世の人間は、此の儘では全員が地獄へ落ちると言うだけなのかも知れません…。
霊界が解って来て、僕は少しは本気で生き方を見詰め直す事が必要に成ると思っているのですが…。