白日様は稲津先生に仰有いました…

「儂が行くとな、地獄が消えるんじゃよ。じゃから、途中迄案内する事にするが、其の後は隠り世の大神様から差し向けられた案内人に伴って行かれるがよい」と。

同様の事は中化神龍師も好く口にしていました。

だから中化神龍師が地獄を覗く時は直接降る訳には行きませんから、現界に居乍ら水晶玉を観て地獄の現状を語ってくれる手法を取ったりした訳です…と言う事は此の点からも、神々は地獄へ直接降られる事は皆無だと言う事に成ります。一度だけ白日様が地獄の学校へ僅かの時間だけ降られた事が有りました。稲津先生が地獄の学校の教師に向かって発せられた疑問にお答え成さる為に降られたのでしたが。

地獄が出来て以来初めて神が降られたと言うので、霊界の歴史に刻まれる程貴重な出来事だった様です。

其の折も白日様は慌てる様に早々と地獄から離れて行かれました。

神々の余光も及ばない世界…其れが迷いの極みの世界『地獄』と言う闇が覆う世界なのですね。


神道は『光一元の教え』なのです。

光来たれば、闇は消えて無く成るだけなのです。

神仙界第二層に位される白日様には、闇に蠢く地獄は無用の存在と成るのですね。

稲津先生はこう語られます…

《神降りませば地獄は掻き消される。

闇は光を受けて蘇る》。

然し、《彼等地獄に屯す拙き輩には光の意味が判らない》…と。


地獄表層部と言い乍らも、其れでも地獄第一層の『良心の呵責無き悪の棲む處』と呼ばれた世界は矢張り寒く凍え死にそうな…氷室の様な處でした。

白日様の思し召しに拠って隠り世(幽世)の大神様から差し向けられた案内役の青年が最初に案内してくれた地獄第一層はそんな身も凍る様な場所だった様です。

案内の青年はスラリと背の高い歳の頃は三十四歳から三十五歳に観える好男子と言うのが、最初に会った時の印象だった様ですが、御存知の通り彼は平家の御曹司で清宗公と言う御方で、稲津先生とは仇敵に当たる武士(もののふ)と言う事が、地獄を探訪する途次(みち)すがら解る事に成る訳ですが、其の辺りの顛末は以前既に当ブログ内で詳細してあります。

此度は之迄述べて来なかった、高い地獄の中でも最悪な地獄の情景を記し、出来れば《反省心の縁(よすが)》として頂きたいと思った次第です。


氷室には三人の男達が座して居ました。思い思いに壁を見詰めて何やらブツブツ時に激しく、時に哀れな様子で一心に呟き喚く姿は異様そのものです。互いに他の二人が存在する事も、稲津先生と清宗公が見詰める姿も一向に気が付かないで…地獄は何処迄も孤独な世界と言う事が、之を観るだけで解ります。 

《独り暗闇の中で苦悶続けるのが地獄なのです。周りに何人居ても、たった独りいつ果てるとも知らず苦しみ続ける世界》なのです。

白日様は地獄に限らず、一層を超えるのにつまり其の世界で魂が錬磨する期間は最低四千年要すると言いました。

明るく穏やかな光満ちる世界ならいざ知らず、地獄の四千年は思っただけで耐えられない年月と思うのは僕だけでしょうか…。


とっくに死んで居るのに、未だ生きていると錯覚していて…今にも凍え死にそうだと苦悶する男が三人。一人は一見渡世人風の男で、蒼白く嶮の有る三白眼で壁の氷を鏡に代えて、忿怒(ふんぬ)の形相で睨み付けている。拳を握り締めて奥歯をギリギリと噛み鳴らしている。

怒りと呪いの念を壁に向かって投げ掛ける…すると、念を発した途端に壁の氷が溶ける。

暫くすると、又元の形に氷結する。

すると男は又同じセリフを吐き、念を飛ばす。

まるでテープを繰り返し流す様だ…たった一つのセリフしか無いみたいに、何度も何度も暫しの間を置いては繰り返している。

其の度に、氷も溶けては又凍ると言う現象を発する念に呼応して繰り返す。

男は堪らず拳で氷の床を叩き出した。拳が裂けて痛みを伴い血が飛び散る…肉体は無いのに、明らかに霊体から血と皮膚片が飛び散る…そして消えて行く。

良く観ると、鏡と化したかに見えていたのは、何と映って居たのは、男が怨みを打つける怨念の相手でした。どうやら、手術の最中の画面が壁に浮かび上がっています。

男は怨念を込めて念波を送っていたのです。

凄まじい怨みの一念である。

《死霊の怨念が四次元霊界から三次元霊界を貫いた》のです。

呪われた相手が手術台で仰け反って苦しんでいる。

男の座った鋭い眼が氷の鏡に映る手術台の様相を一点凝視して、真っ黒な怨念を凝集して、荒々しく藻掻き揺れる呼吸に合わせ呪いの念波を送っている。

然し、手術は上手く行ったものか、手術台の上の相手は麻酔が効いたものか、静かに眠りに就いたものか、昏睡状態に入って仕舞った。

「こんちくしょう…助けやがった…くそっ、奴を殺してやりたい…」と、再び男は床の氷と言わず壁の氷と言わず、めちゃくちゃに叩き出し、「奴を殺してやりたい」と再た同じセリフを吐き出した。

すると、今度は急激に忘れていた寒さが襲って来たのか、「寒い…寒い…寒い…」と襲い来る悪寒に歯の根も合わず全身で震え上がった。


吐き捨てる恨みの言葉、呪いの言葉の数々…其の言葉の持つ念の波長に乗って、霊波が霜柱を形成して行く。其の造り出された氷柱が鋭利な刺の様に研ぎ澄まされて行く。

鋭利な氷柱(つらら)の尖端から迸る滴(しずく)の氷の如き水が、容赦無く男の背中に落ち、太股から足に迄、浸み込んで行く…見る見る内に男の周囲は、氷柱の洞窟に変わって行った。

男は其の真ん中で、頭を抱え、両肘を胸に抱き込む様にして、肩を丸めて極寒に必死に耐え凌んでいる。


幾度も襲い来る悪寒に激しく歯音を軋ませる。震えが止まらないのだろう…氷柱から容赦無く滴る飛沫が剥き出しの皮膚に氷の薄膜を張って行くのが痛々しく見えて来る。

「寒い…!」と言う悲痛な悲鳴に、己れが受ける苛酷な仕打ちに対する悔しい青息(といき)が噎(む)せて

いる…。

《自らが発した意念の形骸が自らの棲む氷の室(むろ)を造り、極限の悪寒に襲われる現実の中に在っても、尚も「俺は殺られた」と魂を絞る激憤に駆られて止まない、哀れな男に同情する霊は無い》。


執念の鬼と化した人間の死後…男は深々と冷え込む氷の独房と化した中に在って、今にも突き刺さりそうな自らの怨念故に出来た"つらら"の狭い部屋の片隅で、あいも変わらず壁に出来た鏡に向かって、生前から増幅して来た怨念を映し、彼の持つ『悪』と連れ添って尚も生き続けている。

其れは、何十年も何百年もの歳月も気付かず、繰り返し繰り返し愚かしい人間の悪業に疲れ切る迄、疲れ切って気が付く迄延々と同じ事を繰り返し続けると言う。

窶(やつ)れ切った頬骨に落ち窪んだ眼、異様に光る眼球だけがドス黒く氷壁を突いては、又…絶叫するのであった。


案内の青年こと地獄の学校の教師、即ち平清宗公が寄り添う稲津先生に語られた…

「あの男は、無念の涙を飲んで獄死したのです。

組員の縄張り争いに巻き込まれた揚げ句に、仲間と意見が合わず、然も信頼していた同僚に裏切られた。彼は仁義に厚く、親分の怨念を晴らさんものと、一死を賭けて殴り込みを計画し、行動に移そうとした。

其れを恐れた同僚が其の陰謀の情報を相手に売ったのが原因で、可哀想に事前に待ち伏せられ喰い止められた。

其の時発砲したのが元で、相手の組員を撃って傷を負わしたが、自分も胸を撃ち抜かれて重傷を負った後、留置場生活をする破目に成ったのです。

後に成って、其の仕業が同僚で有った事を知って激高した。

男は留置場の片隅で信じていた同僚を呪い乍ら、突然襲われた心臓麻痺で獄死したのです」と、男の死に至る物語を説いて聞かせた。


男に執っては仇討ちは歴とした渡世人の仁義だったのです。其処には道徳的善悪は無いのです。

男が激高したのは、信義無き同僚の内通に有りました。

何としても許せぬ憤りが、軈て怨念に代わって行きました。

そうして、死後、男の霊界での生活が始まった訳です。


思い詰めた一念が、霊界でバイブレーションを起こす時、現界では病床に伏した同僚が其の念波に傷め付けられ、何時果つるとも無き確執が二人の間を往来する事に成る。

況して、許容する事の出来無い限り、良心の呵責に目覚める事無く、霊界では更に『悪(こだわり)』を重ね、男は氷室から抜け出す事も当分適いそうも無いと思われます。

男は此処が『地獄』である事すら気付いては居ないのです。


清宗公は遣る瀬無く呟きました…

「無知なんですよね…」

生前に正しく霊界を知る機縁が無かった事から来る哀しい迄の無知が否応も無く、死者達に襲い掛かるのです。

「唯一つだけ、此の男を《救うて遣る道が有ります。其れは、自分が己れに目覚める事》だけなのです。

其の時の訪れる迄、只々ひたすら待って遣る事しか出来無いのです。

其れ以外には何の救いも有りません」…と。

其れが神の光が及ばない世界、つまり神に触れ得ない地獄に堕ちると言う事の現実だったのです。


多分、四〜五百年程、哀れな男は同じ仕草を続けて行く事に成るだろうと、清宗公は説明して下さいました。


其の虚しさを痛い程味わい尽す迄は…救いとは無縁の…地獄は個人だけの世界なのです。

生前、神を知らずに闊歩し続けた者が、死んで実在の神に出逢える筈は無いのです。

霊界とは非情な世界でも有るのです。

事更に地獄は非情なる世界なのです…。