現在、暗中模索をして参りました。
どうやら民主主義も行き詰まって参りました。

一方に於いて、《社会正義の実現》…《其の"社会正義の実現"の縦の筋を通すべき『社会主義』も間違っていた》。

でも、此処に於いて言いたいのは、其の民主主義も社会主義もどうやら行き詰まりを生じ、人類は例え間違っておっても、一つの法則秩序の中で操られている間は、其れなりの筋が通って暮らして行けるでしょうが、其の秩序法則に混乱が生じて参りますと、総てが大黒柱を歪めますと、家そのものが地震の中に置かれる様に…却って人類は混沌として参りました。


一方に於いて民主主義は、《"民主社会主義"と言われる様に、目標を"民主主義に置き乍ら社会主義的手法を採用"しようと言う『民主社会主義·福祉国家』と言う民主主義の行き詰まりを其の修正論の上に於いて立てて行こうと致します》。

でも、福祉国家、民主社会主義は却って物価は上がり、役人横暴の官僚支配等の結果を生み、矢張り之も失敗に終わった様です。


一方の《社会主義は権力支配下の弾圧の中に、社会正義を貫こうとした所に、社会主義社会は皆恐怖政治としての権力支配、独裁の政治に成りました》。

今日の《中国は其の苦悩の結果、経済に自由を残し、競争経済、市場経済…競争と市場性の無い限り経済の繁栄は有り得ないですから…。

其処に経済の原則としては市場性、自由経済を出来得る限り採用したが、政治の上で『社会主義』を採用している》。

つまり、《政治の上では社会正義の実現としての社会主義を採用》している。

此の様な試みの元に中国共産党は動きました。

皆、苦悩の中に居ります。

でも結果に於いて、どうやら此れも自由特区…経済自由特区を作って観たら、今度は学生達が"自由の法律"と叫び更に大いなる自由の要求の元に、反乱に近い再革命等を叫ぶ様な形に成り、周章狼狽をしているのが現在の中国の姿だとも思います。


今や人類は此の様な真面目さは有っても、非常に混沌たる混乱期に入っています。

此れを丸々正すものは何か。

何が一体《宇宙の法則に合致しているのか、宇宙の法則に合致せざる政治·経済·法律は永遠性を保ち得ない。人類に平和を与え得ない事に成ります》。


然すれば、『宇宙の法則』は何か?

『宇宙の法則』の捉え方に誤謬の有った場合、人類社会の平和はおろか理想社会は遠退くばかりに成りましょう。

《宗教が文化指導原理であると言うのは、此の『宇宙の法則』を如何に捉えるかと言う、此の任務が宗教であります》。


悲しいかな、《今日の宗教は宗教で無く、皆、信仰であります》。

『宗教は宇宙を貫く法則を究める事』であり、此の法則を究める手段として、其の分析対象として、其の課題として、題材として人間そのものが何であるか。

人間を捉えんとするのが、宇宙を捉えんとする課題に過ぎませんが…東洋の宗教は、此の人間を如何にして捉えるか。然も分析的に捉えず、全人的立場に於いて捉えるか。


今や人類は、キリスト教文化から生まれた、片や民主主義、片や社会主義がどうやら行き詰まって参りました。

東洋の宗教の上に、其の救いを求めて…つまり、東洋の宗教のみが、『宇宙を貫く法則』を全人的立場で…分析的立場では無く…全人的立場に於いて捉えて来たからであります。

私が今…「宗教が汎ゆる文化の指導原理である」と繰り返し申しますのも、今申します様な『宇宙の法則』を誰が捉えるか…其の宇宙の法則に合致しない社会正義を権力支配下に実現しよう等と言う事は、人類に執って真に迷惑極まり無き行為だと言う事に成りましょう。

非常な善意から出ても、間違った法則の元に社会を律する事は人類に執っては迷惑。


然すれば《何が宇宙を貫く法則なのか》?

其の『宇宙を貫く法則』を、キリスト教は、実は捉え得なかった。

《人類前史から人類後史へ移ると言うのは、何が正しい宇宙の法則なのかと言う、其の宇宙の法則の捉え方を、西洋的捉え方から東洋的捉え方に持って行きたい…其の方が正しく捉えて来たからです》。

殊に皆様方に此れから説きまする『宗教論』は、文化指導原理としての、飽く迄『宗教論』。

宇宙を貫く法則を極める為の宗教論であります。

此の筋を通しませんと、とても人類社会に平和を来たらせる訳は御座いません。


宗教は文化の指導原理である。

一番大切なものだと言う、此の大前提を此れから説いて行きたいのが、此の講座の第一の目的であります。

《人類平和の為に、人類が良識を持って容認せざるを得ない『宗教論』を説きたいと思っております》。