人間の身体は三次元物質世界の肉体の奥に幽体・霊体・本体が次元を異にしながら一つの体を形成しているのです。神道では肉体を土の体、幽体を水の体と呼びます。一般に幽霊と呼ばれるのがこの水の体ですから、幽霊が近くに来ると冷水を浴びせられた様にゾッとする…なんて言われるのも、納得してしまいます。

霊体は風の体です。
『千の風になって』と言う歌が人々の心を打ってヒットしましたね。演歌の世界でも福田こうへいさんの『南部蝉しぐれ』と言う歌が大ヒットしましたが、この中にも“時節がくると風が言う”と言う歌詞が有ります。風に問いかけ、風が応え励ましてくれる、風も応えてくれない…等と、“風が応える”と言う歌詞が何故か琴線に触れるのは、誰もが何度も『風の体』を体験しているからだと思っています。

現在の世の中を生きている人は一人残らず皆さん何度も生まれ変わりを体験して来ていますから、何度も風の体の生活を体験していると言うことです。風の体の時には地上に残した子供や恋人、肉親に向かって何度も何度も語りかけた事がある筈です。残念ながらその事実は忘れていても、心の奥の『識(しき)』には全てが記憶されてますから、『千の風になって』や“風が語りかけてくれる”歌詞が心の琴線に触れるのです。

さて、伊邪那岐命と伊邪那美命はどうも上手く子供が作れないので、『斎場(ゆにわ)』を開き、目上の神様にお尋ねに成りました。

『斎場』と言うのは宮中用語です。
“神々との繋がりを持つ場”つまり“神々との応答の場”と言う意味の言葉です。

神々のお応えは…
『「女(おみな)先に言へるによりて良からず。また還り降りて改め言へ」とのりたまひき。』
…でした。

良いか悪いかは別として、『生命結合』と言う命の結合に於いては“夫唱婦随”なのです。

女が先に言葉を掛けたことが相応しくない。男が先に声をかけるべきだったと…これはどういう事なのでしょうか⁉️

前回、織物の例を執りましたが、織物は先に『横糸』を掛けては駄目なのです。先に『縦糸』を掛けてから、縦糸を綾なすのが横糸の仕事なのです。順番が違えばどんな織物も満足には出来ないのです。

動かす事が出来ないもの。つまり『縦』とは宿命的なものなのです。

顔に縦に付いているものは耳と鼻です。耳と鼻だけは拒否することが…いやいやが出来ません。聞きたくない話だからと言っても耳を蓋することは出来ませんし、そんな臭いは嗅ぎたくないと言っても入って来ます。拒否権はありません。

縦にあるものは宿命的で選択の自由はありません。

では、横に付いている目と口はどうでしょう。見たくなければ目を閉じる事が出来ます。口を閉じて黙る事が出来ます。拒否権の発動が出来るのです。

親子の間にも拒否権はありません。生まれた子供がどんな子であっても、或いは生んで貰った子供の方も、一度この世で親子と生まれた限りは拒否権も新たな選択権もありません。親子は縦筋の関係、つまり定まった関係、宿命的関係なのです。血統は変えられません。霊統も変えられません。宿命なのです。

横にあるものは拒否権が有ります。横の関係とは血の繋がらない友人、恋人、夫婦の関係です。これが『運命』です。自らの努力と互いの協力で切り開いていけるのです。拒否権で別れる事も出来れば、選択権で共に思いやって共に生きる道も選べるのです。

縦糸が有って、その縦糸を綾なすのが家庭であり、夫婦であり、会社です。女が先にプロポーズしてはならないと言う意味ではありません。

縦筋(糸)は宿命を示し、横筋(糸)は運命を示しているのです。