『その島に天降(あまくだ)りまして、天(あめ)の御柱(みはしら)を見立て、八尋殿(やひろどの)を見立てたまひき。ここにその妹伊邪那美命に問ひたまはく、「汝(な)が身は如何(いか)か成れる。」と、とひたまへば、「吾(あ)が身は、成りて成り合わざる處(ところ)一處(ひとところ)あり。」と答へたまひき。…中略…ここに伊邪那岐命詔(の)りたまひしく、「然らば吾(あれ)と汝(いまし)とこの天の御柱を行き廻り逢ひて、みとのまぐはひ爲(せ)む。」とのりたまひき。
かく期(ちぎ)りて、すなはち「汝は右より廻り逢へ、我は左より廻り逢はむ。」と詔りたまひき、約(ちぎ)り竟(お)へて廻る時、伊邪那美命、先に「あなにやし、えをとこを。」と言ひ、後(のち)に伊邪那岐命、「あなにやし、えをとめを。」と言ひ、各々言い竟へし後、その妹に告げたまひしく、「女人(おみな)先に言へるは良からず。」告げたまひき。然れどもくみどに興(おこ)して生める子は、水蛭子(ひるこ)。この子は葦船(あしぶね)に入れて流し去(う)てき。次に淡島を生みき。こも亦、子の例(たぐひ)には入れざりき。』

此処で大切なことは、「汝は右より廻り逢へ、我は左より廻り逢はむ。」と言う所です。この“右と左”とは非常に重要なのです。

『右』と言うのは“みぎり”と言って、『曲』と書きます。
『左』は“ひたる”と言って『直』を書きます。

織物と言うものは、縦糸と横糸で出来ています。縦糸を横糸が綾なして織物の模様が出来ます。この『直と曲』との関係が『左と右』の問題なのです。

天の御柱をお廻りに成り、伊邪那美命が「あなにやし、えをとこを。」と女性の方からプロポーズをされた。それから伊邪那岐命が「あなにやし、えをとめを。」と申されました。それから伊邪那岐命は女性が先に言葉をかけるのは法則に合わないが、これで旨く行くのかな❔ と御心配に成りましたが、そのまま御結婚成されて、次々と子供をお生みに成りました。

そして“水蛭子”が生まれました。“水蛭子”と言うのは“骨無し子”と言うことです。

やはり背骨がきちっと通っていなければ…つまり、縦に筋が通っていなかった為に、横筋である肋骨だけの子が生まれたと言う訳です。次に生まれたのも“淡島”、つまり、もやもやとして形態がはっきりしないと言うことです。

『ここに二柱の神、議(はか)りて云ひけらく、「今吾(あ)が生める子良からず。なほ天つ神の御所(みもと)に白(まお)すべし。」いひて、すなはち共に参上(まゐのぼ)りて、天つ神の命(みこと)を請ひき。』

どうも良くない。天津神に「どこが間違っているのでしょうか」とお尋ねしました。

“考える”とは人間の知性でいろいろと思う事では無いのです。“考える”とは“神帰る(かみかえる)”事なのです。即ち、神様にお尋ねする事です。

『ここに天つ神の命もちて、布斗麻邇(ふとまに/太占)に卜相(うらひ)て、詔りたまひしく、』

人間の体には肉体があり、神道ではこれを『土の体』と言うのです。肉体は亡びてやがて土に還ります。

肉体の奥にあるのが幽体です。これは肉体よりやや大きいのですが、この幽体を『水の体』と言います。

その奥が霊体。これは観念的に思った通りに成りますが、勿論霊界へ行ってからですが…。この霊体を『風の体』と言うのです。

更に霊体のその奥には本体があります。これを『火の体』と言って、ここが命の世界なのです。同時にこれは『光の体』と成ります。

人は肉体(土の体)を去ったら幽体(水の体)で幽界へ行き、幽体から脱皮して霊体(風の体)と成って霊界へ行くのです。

神である伊邪那岐命と伊邪那美命ですが、自分達で判断せずに斎場(ゆにわ)を開いてその上の神々にお尋ねに成った…これを『布斗麻邇に卜相て』と言うのです。

“ふと”とは『風止』、“まに”とは『坐身』です。『風止坐身』…これは霊界の言葉です。

『風止』は霊界上層部を指します。
“ふとまに”とは風止に坐す体、つまり『風止坐身(ふとましみ)』即ち高級霊界におわします体と言うことです。

“卜相ひて”は“卜相(うらな)ひて”で、『卜』とは『心』と言うことです。

肉体が表で心が裏です。卜相ひてとつまり本来の“占い”とは『裏合わせして』と言うことで、心を合わせることです。何処と心を合わせるのか❓️

『霊界に心を合わせて』と言うことです。占いとは本来は霊界の上層部の霊にお伺いする事だったのですね。

神様ですら迷ったならば、御自分より更に上の高い世界におわす神々にお尋ねになり、その上の神様の命(みこと)つまりお命じに従って動いているのです。

「何故でしょうか❔」と伊邪那岐命と伊邪那美命がお尋ねに成ったのです。