
前回お話した『斎場(ゆにわ)』は残念ながら僕の知る限り、今ではとても遭遇出来そうもありませんが、もっと身近な神示なら御神縁さえ有れば体験出来ます。
神社参拝を為さる方ならば当然御存知の『おみくじ』です。
ただし、ただ興味本位、あるいは御神霊を試す様な振る舞い、礼を失した考え行為を以て、運試し的な…早い話、自分の都合優先で「大吉来い❗️」的な引き方では決して神示は得られませんが…。
忘れてはならないのは『神は非礼を許さず』の一言。
高き神々は決して人を罰したり、呪いをかけたり祟ったりは致しません。
では、何故『触らぬ神に祟り無し』と言う言葉が有るのでしょうか。
神はただあなたから離れて行くだけなんです。神が離れた途端に魔界の邪霊や動物霊があなたの元に集い、結果、思いもよらぬ酷い目に会うので、神に祟られたとあなたは思ってしまうのです。
神は祟りませんが、非礼は御許しに成りません。つまり、相手にしてくださりません。応えては戴けません。
参拝に行き、鳥居…神社の玄関です…の前で挨拶もせず、ずかずかと入って行って、神様がニコニコ迎えて下さるでしょうか❓️
もしあなたの家に見ず知らずの誰かが挨拶も無くずけずけと入って来て頼み事をしたら笑顔で迎えますか⁉️人間の我々ですら怒るのですよ。
天皇陛下が礼を尽くして拝礼なされるのが神様なんですよ。
鳥居には神の使いの鳥が居るから鳥居なんです。普段活動していない時は光の玉に見えますが、参拝者が名乗りを上げて参内の目的を明らかにして参内を乞うと、光の玉が一瞬にして鳥と成り神の元へと来訪を告げに飛び立ちます。
其れを受けて神がおっとり刀で社に降られるのです。いつも神社に神が居られる道理はないんです。
最初から礼を失して神様から御神示を賜れると思う方が不思議です。
ともあれ礼を尽くして拝殿に額付き祈願を言挙げ為さる事が肝要と思います。
一度の参拝で願いは一つが原則です。二つ有れば二度、三つならば三度参拝するのです。手間と労力を惜しまない…この我が時間と我が労力を費やす我が身を削ぐ行為こそ一つの禊なのです。
ここで嘗てしでかした僕の失敗談を一つ致します。実はこの失敗が却って神様がおわします事、神示の凄まじさを立証する事になるのですが…。
お金を入れるとおみくじがカシャリと出てくる機械で神示を乞うたのですが、間違って自分の疑問の答えを乞いながら、気がついたら家族の事も含めて言挙げしてしまったのです。一度に三つの願いをしたのと同じでした。「こりゃ応えては戴けないなあ」と思いながら百円を挿入し、カシャリと折り畳まれたおみくじが受け口に出てきたのを見たら、少し分厚いのに驚いて取り出したら、どういう加減かおみくじが三枚(一枚の中に二枚包まれていました)一度に出てきたのでした。勿論、三人三様のズバリ為すべき行動と心構えを示して戴けました。
また、僕の友人がある事を為して良いかを伺った折りには、一度伺いまだ為らぬと言われ、半年後に同じ事を伺ったら、全く同じおみくじが出てきました。更に半年位経て同じ伺いをすると為して良しのお応えを今度は賜り、見事願いは成就したとの事です。
おみくじも確かに神示と成る事が有るのです。
但し、闇雲に何処の神社でも大丈夫とは行かない様です。あなたに最も縁の深い神社とお応え下さる神様がいらっしゃいます。
心の眼を磨き、心に問い掛ける事です。誰か他人が判断する事は出来ません。神様の導きのままに…神様は素直な人を愛でます。…素直はお人好しとは違います。言いなりに成る事とは違います。
神の前に素直であることに尽きます。
無死の知らせ、力化相、神示…神は常に正しい道を示して下さっておられるのですが、我々が気付かず素通りしているだけの様です。