エクトプラズムは男性よりも女性が出やすいけれど、
当然に個人差はあります。

霊能体質にすぐれエクトプラズムがより出やすく心が清らかな若い女性が巫女には相応しいと言う事になります。

エクトプラズムは消耗品ですから、体力が無いと身体に掛かる負担が尋常では無いし、回復には、やはり若さが鍵になるのはスポーツの世界と同じですね。

それに心が穢れている人のエクトプラズムを神が使う訳にはいきません。

巫女の本来の務めは神を降ろし、神の意(こころ)を伝える事でした。

巫女に降りた霊が本当に神であるか、神を騙る邪霊、動物霊かを見極めるのが神主の役目でした。

巫女。『巫』一文字でも『みこ』ですが女性の務め故に『巫女』。この文字は『天』と『地上』の間に『棒』を立てて、それを二人の『人(女性)』が持っている姿を示しているのです。


これは一般に『フーチ』と言います。宮中では『龍杖(りゅうじょう)』と呼ばれていました。

天から降る神の意を地上…最初は神社の境内の一角を注連縄(元々は神を封じ込める為のものが注連縄なんです)で囲い結界を作り砂地に棒を立てて二人の巫女が支え、神に質問をすると神がシャシャーッと棒を動かして文字を書いて応えて下されたのです。

所謂こっくりさんと似て非なるものです。

やがて砂地では文字が残らないので、紙に大きな筆を立てて書く様になったのです。神に書いて戴くものだから紙なんですよ。

巫女のエクトプラズムを使って棒を動かし文字を書いたのです。『力化相』です。

神主の役目は審神者(さにわ)、つまり人と神との仲取持ちが神主の務めでした。

実在する神との応答が出来なければ、神主とは言えないと言う訳です。

神様に問い掛け、神様の願いを知り神様に神社に止まって戴くのが神主の本来の務めでした。

嘗て、少なくとも推古天皇の御代辺りまでは神様と人間が語り合えた様です。

上宮太子(聖徳太子と言うのは亡くなられてから仏教徒に依って付けられた諡です)が遺された十七条の五憲法の中の『神職憲法(神主の為の憲法)』の第十一章主道の章にも
神がそこに止まるか止まらないかは
神の意志を問うて
神の意志を地上に実現してやらない限り
神は止まらない

…と言う事が書かれています。

かれこれ八百年前から神の意志が取れなく成ってしまっているのも事実なのですが…。

神職憲法 第11条

十一に曰く、大社には勅使を以てし、国社は国司に命じ、県社は国造に命じ、託神姫(かみがかりひめ)を貞にし、審神者を正しくして、毎年神を降して、神の望を聞き、望に応じて、鎮座を尋ぬ。
或は、これを怠り休むときは、則ち、神睡(ねむり)久しくして利なし。なほ久しきときは、諸神天にかへりて社頭に鎮まり給わず。吾国は斉元(さいげん)の国なり、もし神天に帰りませば、則ち、宝祚(ほうそ)安からず、国威隆んならず、異国来たり侵さんことを危ぶむ。