あけまして
おめでとうございます。
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いつも読んでくださる
皆さまに感謝を込めて、
この一年のご多幸を
お祈りいたします。
本年もどうぞゆるりと
お付き合いくださると
嬉しいです。![]()
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さて、今年も氏神様のもとで
新たな年を迎えられたこと
雅楽演奏に携われたことに
感謝感謝です![]()
去年はワクワクしていて
あまり気が付かなかったのですが、
今年は大晦日から身体が反応していて
演奏前の禊や、新しい肌着に
袖を通すことや口にするものなど
色々と“こうした方がいいのだろうな”
ということが自然と身体が求めていて
不思議でした。
神前に立つことは
少しばかり緊張をするのですが
肝心の演奏の方は、
まったく緊張しませんでした。笑
今回、雅楽のメンバーたちとの
都合が合わず、当日まで全体練習が
1日もない、という状況でしたので
結果もそれなりの出来でしたが
個人練習はしていたので
私なりのベストは尽くすことができました。
今回演奏していて
気が付いたのですが…
※けっしてディスってるわけではありません。
みんなで演奏することって
「この世の中」と同じで
それぞれの協調性がないと
心地良くない不調和が
生まれるのだな、と気付きました。
つまり、雅楽でも社会でも
自分の音量・タイミング・立ち位置を
「場に合わせて微調整する意識」
言い換えると“真心や思いやり”がないと
音も人間関係もズレてくるもので
やめてしまうのは簡単だけど
修正するのは至難の業だな
と感じたのです。
それは誰かが悪いとかではなく
ただ呼吸が揃っていないだけなのですが
・・・その呼吸を揃えるために
必要なものってなんなのでしょうね。
みなさんは、どう思いますか?
実のところ、私は今まで
「協調性 = 自己犠牲」という
“抑圧”と勘違いしていました。
「個人の意思を大切にすること」
「他人の選択を尊重すること」
それ自体はとても大切だけど
それだけを並べてしまうと
同じ場を生きている感覚が
どこか抜け落ちてしまう。
私はこっち、あなたはそっちで
勝手にやってね~という感じでさ…。
協調性のない社会(演奏)は、
ただの無秩序でしかありません。(;^_^A
じゃあ、どうするかっていうと……
それは
その場を成立させるため
衝動的にありのまま
自由に振る舞うことではなく、
関係性の中で、
自分の個性が生かせる場所や
発揮できる場所を探すことや
自分の音(自分の在り方)を
選び続けること。
自分の個性の
“使いどころ”を見極め、
調律していく。
そんな主体性が大事であり
必要なのではないかな
と、私は思いました。
そこで昨年、カフェで出会った
ヴァイオリニストさんの言葉を
ふと思い出しました。
「音って、自分だけが
気持ち良くなったら駄目なの」
と言っていたのです。
とても強く印象に残りました。
今の時代は、自分だけが発散している音楽が
増えているようにも感じます。
それは音楽に限らず、いろいろな場面でも・・・。
そして、
不調和が生まれる原因は…
私たちが
「全体の一部」であることを
忘れてしまったとき
なのかもしれないなと
雅楽の演奏を通して感じました。
新年早々、なんだか
深いメッセージと気付きを頂き
感謝感謝です。![]()
あ、そういえば
演奏の休憩中にチラっと
拝見したのですが…
参拝客の方が次々と
お賽銭を投げてお祈りしているのを
“うむうむ”と眷属さまが
(男性の人でしたが…)
どのような参拝客に対しても
一生懸命、聞いていらして
胸がじんわりとしました。
とても大変そうでした…。![]()
肉体がないので
記憶の容量というのに
制限はないようでしたが
眼には見えない帳簿のようなものに
記録する作業があるようで
一度に大勢の人が来ると
集中力と霊力を消耗するようでした。
いたって真面目に
聞いてくださっている傍らで
やっと順番が来たか、と
礼儀も作法もすっ飛ばして
お賽銭をぶん投げる参拝客が
何だかとても残念でした。
それでも、平等に願い事を真摯に
聞いてくださっているのですよね…
私は未熟な人間だから
そんな輩は即座にぶん殴ってやりてぇ
と思ってしまうけども
「ここ(神社)へやって来る“信仰心”はある」
と、おっしゃるので…。確かに!
表面的なことに惑わされて
感情的になってはいかんな、と
思ったのでありました。
感謝感謝です。
自由を叫ぶ声が大きい時代だからこそ、
時には、自分の音を聴き直すことって
大切かもしれないですね~
みなさんは、
どんな音を鳴らしたいですか。
私は、
音はちょっとハズしていても、
いつも陽気な音がいいな〜。![]()
ではでは、
それぞれの音を鳴らしながら
ゆるりと、よいお正月を
お過ごしください〜。![]()
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