先人
先輩
先に生まれた人=先生
先生っていうのは
先に生まれただけなんだよ
と小学校時代の先生が言ってくれて
とても信頼して過ごせた
という話を聞いたことがあります。
先に生まれると先に経験することも当然多いわけで、後に生まれた人にいろいろ言いたくなるもので。
私も兄弟の中では一番上、
従兄弟の中でも二番目
母方の実家では初孫と
生まれた途端に喜ばれちやほやされ
大人の注目独り占め
兄弟が生まれた途端にお姉ちゃんという役割を与えられたので
子供時代は特に偉そうに振る舞っていました
外の世界では早々に叩きのめされて
次第に内弁慶になりましたが
私の上、つまり親
さらに上、親の親、つまり祖父母達は
とにかくやってあげる守ってあげることが生きがいなメンバーが揃っていました。
私の先生は揃いも揃ってやってあげ隊。
それはつまり口出し隊(口出したい)ということです。
大人になって
病気になって
それは自分に向き合うキーワードになっていきました。
と、いってもね
そこから今までに至って
ひとつ私の結論として出ていることは
やってあげ隊を善か悪か決めたい気持ち
白黒つけたい気持ち
もっと頼ろうとか避けよう排除しようという関係を決めたい気持ち
楽になりたい気持ち
これらはその場の対処としては効果もあるかもしれませんが
根本的な解決にはならないということ。
つまりその方々を責めても
なにも望む方には進まない
かといって
他人を責めてはいけないと
自分を責めたり押え込んだりはさらに辛い
そこで自分なりの方法を見つけていくわけですが
相手もそれぞれ自分なりで
いつもわかりやすく上手に伝えてくる人ばかりでない
時にはお互い誤解してケンカにもなる
そういうことはよくある
やってあげ隊は先生として教えるのは苦手な人も多い。
今の私が先生をするならこうするなぁ
そうしてくれたら本当の気持ちがわかったかもしれないのにと思う伝え方があります。
やってあげるのではなく見せてあげる
止めてあげるのではなく心配してると伝える
冒険してはいけないのではなく
危険を心配している
覚悟は本当にできているのかと聞きたい
やってあげ隊とは別に出会った人達から教わった方法です。
どのやり方も思いやり。
愛情だった。
ただ感情が先走っていたり
我や私欲が少し混ざったり
やってあげ隊が彼らの先生のやり方を正しいと思って引き継いでいるだけ
丁寧にいうのが説教くさかったり照れくさかったり面倒だったのかも(笑)
そこに気付いた時
うまく受け取れなかった愛情を
受け取り直すことに意識を向けはじめました。
うつは病気ではないそうですが
長く過ごすと日常生活も1人で出来ない。
症状のことではなく気力は十分に病気の状態です。
そのうつ状態から抜け出せなくなっていた状況はこそから変わり始めました
本来の自分から離れすぎていたことにもそこから気づいて行きました
つれづれになりそうですが
病気は先生
私がそう言い続ける理由も書いていけたらと思います。
