こんにちは☀️
何ヶ月も眠っていて突然出現しました
覗いてくださってありがとう
ございます![]()
静岡市清水区にある
おじまじんやあと
「小島陣屋跡」
昨年NHK大河ドラマ「べらぼう」で紹介されて、興味持った場所です
今年5月行って来ました
自分なりに少し記録します
幕末、静岡県内に配置された7つの
大名の1つ
小島藩
宝永元年(1704年)甲州への
要所、身延路沿い小島村に
陣屋を構築しました
藩政は明治維新まで164年間続きました
静岡県内の大名配置図
藩主、「瀧脇松平家」は徳川家康と
同じ三河松平家の分家になります
今の静岡市域に30ケ村、一万石を領有
(一万石大名の抱えるべき家臣数は
235人、小島藩は102人)かなり弱小か
二万石以下の大名は、城を構えること
許されず、居所は「陣屋」と称した
約5000坪の敷地に「虎口」「石垣」
「縄張り」が良好な状態で遺ります
平成18年、文化財保護法により
「国史跡」に指定されました
参勤交代、諸役、地方の小大名
には諸々負担が大きかったのでしょう💦
臨済宗の名僧【白隠慧鶴禅師】
(はくいんえかく、ぜんし)から
3代目、松平安房守へ、善政指南の書
【夜船閑話 巻之下】
(やせんかんわ まきのした)
を贈られることとなり
藩政の理念
歴代藩主の治世の標、と受継ぐ
こととなりました
「酒宴をやめよ、側室を減らし出費を抑えるべし。」
「鷹狩りは民百姓の負担になるばかりか、殺生の破戒行為であるからこれをやめよ」
「追従をこととする佞臣を退け賢臣を登用して、これに国政を委ねよ」
など⋯
アルコール🍶とハニー
ほどほどに⋯溺れるなかれっ!ですね
(笑)美人は罪です
そんな中、1764年.財政改革による増税🌾
百姓の生活も更に困窮
ついに「惣百姓一揆」を惹起
(そうひゃくしょう一揆をじゃっき)
因みに「惣百姓一揆」とは村全体で
団結した一揆のこと。
曲折の末、元の貢率に戻されたと⋯
お百姓さんの苦闘の歴史がありました
小島藩から立身出世した
100石取りの武士(現代1000万円)
またの顔は⋯大人気作家✨️📔
こいかわはるまち
「恋川春町」
恋川春町の挿絵お借りしました
恋川春町とは江戸時代中期〜後期にかけて
現代のマンガ、雑誌、絵本
のような大人向け絵入り小説
(ユーモア、風刺、駄洒落が盛り沢山)
総じて「黄表紙」きびょうし
を大流行させた第一人者

「黄表紙の祖」とも呼ばれる
江戸の売れっ子作家となっていく
10ページ縦18✕横13センチくらい
手のひらサイズ、2〜3冊で完結
代表作
きんきんせんせいえいがのゆめ
お金持ちに成った夢を見た、男が目覚め
現実の虚しさを知る⋯滑稽でユーモア溢れる
夢オチの元祖
生涯30冊にものぼる作品排出した
他の作品
こうまんさいあんぎゃにっき
おうむがえしぶんぶのふたみち
松平定信が行った「寛政の改革」を巧みに皮肉り
大ヒットしたものの、幕府から目を付けられきっかけになる作品💦
当時の江戸っ子たちのトレンドや価値観
をダイレクトに反映した
作品を数々生み出しました
しかし時の権力者からは少々
厄介者に見られていたのか⋯
恋川春町は幕府風刺の作品を描いたことで
責任を問われた
主家の小島藩や、家族に
累が及ぶことを避けるために自ら
命を絶つことになった。
(一般的にはそう言われています)
(1744年〜1789年.46歳没)
恋川春町らしく
「武士としては腹を切り、戯作者としては、豆腐の角に頭をぶつけて死んだ」
というユーモアを交えた最期が
広く描かれる作家です
でも切ない最期です。
狂歌師としてのペンネーム
「酒上不埒」
さけのうえのふらち
蔦屋重三郎らが主催する宴席での姿にちなみ
自らをそう号し、狂歌壇でも才能発揮した
酒上不埒の作品
くれ行くとしと 我身なりけり」
意味
(揃って古くなり嫌になるものは 請求書の束と
迫ってくる年の暮れ そして自分自身の身体である)
そんな個性溢れる人材が生まれた藩
小島藩
春風爽やかな5月に
義理の両親と共に訪れました
義父親は「歴史探訪、いい趣味だなぁぁ✨️」
としきりに褒めてくれた
義母親は認知症と歩行困難の為
車から降りれなかった
スピリチュアルの師匠に
「稲荷神社跡と土地に神々様が存在する」
と伺っていたので
アンテナ張って散策したけれど
ヤッパリ分からなかった
でも気持ち良い場所を、知れたこと
こうして記録できたことが
嬉しい
最後までお付き合いくださいまして
ありがとうございます
明日も明後日も自分らしく
生きて行けますように⋯
皆様もそうでありますように🙏
瑠璃衣












