いつもご訪問ありがとうございます☆
こちらは、がんばらない、
ゆるゆる気軽に楽しい節約を実践する
主婦の気ままなブログです。
どうぞゆっくりしていってください♪(*^_^*)
-------------------------------------------------------
昨日の
「ふつう」を断捨離した の記事に、
大きな反響ありがとうございました!!
ずっとブログをやりながら
お褒めの言葉をいただくたび、
「でも私ってほんとはこんな人間なのに...」
という申し訳なさがあり
ずばっと言ってしまうと
コミュ障
社会不適合者
なのに。
それなのにこんな褒めていただいて
リアルな世界での私と出会ったら
きっと嫌われてしまうんだろう...
という恐ろしい気持ちがいつもあり![]()
でも、私が口を開くことで
役に立つことがあるんだな
と思いました![]()
なのでもう少しだけ
「コミュ障が大人になった感想」
を書こうと思います。
いつもの節約の話と趣旨も違うし
暗い話も出てくるので
苦手な方、
気分を害するおそれがある方は
最初からスルーしてください。
また、記事自体を消す可能性もあります。
ご了承下さい。
↓↓↓
まず、私の子供時代。
やんちゃで手のつけられない子供。
母はとにかく手を焼いたようです。
そして保育園くらいから、
コミュニケーションの取り方が分からず
周囲から孤立していました。
友達の輪に入れず
絵を描いたり、
演劇の脚本みたいなものを書いたり、
何時間でも工作している子供でした。
小学生になると
人付き合いが苦手なことが顕著になります。
場の空気が読めない、
友達の気持ちを理解できない、
思ったことをストレートに言ってしまうことで
友達とのトラブルがしょっちゅうありました。
今の時代だったら
私には何らかの診断がついたかもしれません。
でも当時は「変わった子」
という解釈しかなかった。
変わり者扱いは
すぐにいじめに発展します。
無邪気な子供はストレートです。
私が机に触ると
「ぽこりん菌がついた〜!!」と男子は大騒ぎ、
集団登校のときは会話に入れず、
鬼ごっこをしながら登校しよう、となると
ジャンケンは示し合わされていて
私がいつも鬼。
そろばん塾にいけば長靴が
田んぼの泥に埋めてあったり、
給食は仲良し同士で机をつけて食べますが
誰も入れてくれず
先生が最後にどこかの班に入れるよう指示、
誰かが仕方なく入れてくれますが
机は必ず1cmずつの隙間。
一言も会話できず終了。
遠足も、修学旅行も
誰も一緒に行ってくれず、
前に立たされ
先生が「誰か入れてやってくれ」と頼む。
しーんとしたまま時間が過ぎる。
最後に私が泣き出すと
しぶしぶ誰かが手を挙げる。
私が泣いていたのは
入れてくれないことよりも
皆の前で立たされて
さらし者にされる恥ずかしさ
だったのですが。
先生が助けてくれたこともありません。
トラブルメーカーの私を題材に
1限目から6限目まで
授業をつぶして学級会を繰り返したある担任。
私を教卓の前に立たせ
「こいつの嫌いなところを言え」と。
挙手してひとりひとりが
「ぽこりんのこういうところが嫌です」
「ぽこりんにこんなことをされました」
と言っていく。
私はそのとき
もう何もかもから解放されたくて
泣きながら土下座しました。
何一つ解決されない学級会
先生は満足だったのでしょう。
毎日毎日そんなことが続きます。
誰も何とかしてくれませんでした。
私がいじめられていることは
大人にとっては「日常の一コマ」であり、
時間が経って卒業してくれるのを
みんな待っていただけでした。
6年間、毎日が地獄の日々でした。
子供の私の自尊心など崩壊していて
初めて会った相手でも
「この人は私を嫌いになる」
「私は嫌われ者」
がスタンダード。標準装備。
大きくなるにつれ
「どうせ誘っても仲間には入れない」
「どうせ大人なんて何もしてくれない」
と諦めるようになります。
中学で少し友達はできたものの
人間関係のトラブルは絶えず、
高校になっても同じ。
「なぜ自分のような罪深い人間が
間違って生まれてしまったのか?
神様教えてください。」と
高校のノートに書いてありました。
さすがに大人になってそれを見たときは
自分で自分に涙が出ました。
私を唯一救ってくれたのは
ノートとペン。
毎日休み時間はひたすら
ノートに絵を描きました。
絵を描いていると
珍しがってクラスの子が寄ってくる。
私にとって
唯一のコミュニケーションであり、
唯一自分の存在が認められる瞬間。
私は親に人間関係のことで
多大な心配をかけているという負い目から、
学業やスポーツに打ち込みました。
生徒会長や作文コンクールなど
褒められそうなことを片っ端からやり、
なんとか生きていることを許してもらえるように
罪滅ぼしできるようにがんばりました。
けれど
出来るのが当たり前、
出来ない部分を指摘され、
そしてまた自分を責めて大人になりました。
大人になってからは
コミュニケーションが苦手なままではダメだ
と一生懸命社交性を磨こうとしました。
他人の顔色をいつも伺い、
自分の言動の何が他人を不快にするのか
いつもいつも研究し続けます。
トレーニングのつもりで洋服屋に勤めたことも大きく、
今では営業スマイルばっちり、
会話のキャッチボールも上手になりました。
今の私しか知らない人は
私がコミュ障だと話すと
ギャグだと思うようです。
洋服販売のあとデザインの仕事に就き
一時バブルが来たり、
それが失敗したのを引き金に
鬱になって自殺を試みたり
色々経験しました。
その後長い治療を経て
鬱もなんとか回復、
結婚、出産して
夫の失業を機に
外で働くことになります。
新聞配達と、
パート勤めと
フリーランスのデザイン。
新聞配達はいろんな条件が
揃っていたから選んだのですが、
大きな理由の一つは
「ほぼ誰とも話さないから」でした。
そしてパート勤め。
会社の椅子に座り、
朝から夕方までパソコン作業。
会社の方は良い方ばかりなのに
冷や汗が出てきます。
「みんな私のことを仕事が出来ないと思っている」
「役立たず、空気読めないと思っている」
「どうしよう、なんとか利益を出さなければ」
文字にするとバカみたいですが
もう辛くて辛くて、
仕事が分からないことよりも
「誰かの隣に座っている恐怖」がすごい。
自分の心の持ちよう、とかではない
コントロールできない何かを抱えていました。
このままではこの先生きていけない。
32歳、
すがるような思いで精神科を受診します。
しかし、精神科の先生の考え方も様々。
「過去のいじめは治療対象ではない。未来を見たら?」
という先生も...
恥ずかしさで涙が出ました。
それでもなんとか評判の良い心療内科を探し、
往復何時間もかけて治療に通いました。
過去のいじめを
ひとつひとつ話し、思い出し、
泣きながら受けるトラウマ治療。
小さい頃のことでまだ悩んでいるなんて
恥ずかしい...
でも確かに、まだあのときのまま
苦しんでいる自分がいる。
家計もギリギリで自分にかかる負担も大きく、
治療にも通い
あのときは本当にすべてが嫌になりました。
でも、半年以上治療を続け
やっと糸口が見つかります。
だってつらかった。
ずっとずっと
私は仲間に入りたかった。
私も愛されたかった。
何も特別なことをしなくても
いるだけで可愛がられたかった。
治療の末に
そんな本音を掘り起こしました。
そこから、
もう二度と
つらい思いはしたくない。
もう好きなことしかしない。
人の顔色のために自分をないがしろにしない。
苦手なことをがんばり続ける必要はない。
そう考えるようになり
パートを辞めました。
仕事を辞めるなんて根性無し、
そう思われてもいいやって。
私の治療を理解してくれた社長には
申し訳なかったですが
この春退職を選びました。
好きなことしかしないで生きていく
それは甘いと否定されるかもしれません。
しかし、努力や根性を
遥かに超える結果を出すのは
「好き」「楽しい」というパワーであること
それを実感しているので
私は踏み出す決意をしました。
フリーランスは
黙っていてもお金が入ることはありません。
リスクはありますが、
何よりひとりで伸び伸びやれる。
パートを辞めて収入が下がっても
自分の人生を楽しい、愛しいと思える。
辞めて後悔はありません。
人の隣に座るだけで
嫌われているって妄想して冷や汗、
ってヤバくないですかw
でも
ここまでコミュ障だったとしても
仕事をする方法はいくらでもある。
結婚も、出産もできたし、
今やっと幸せに生きている。
もしも今、
ご自分や、またはお子さんが
「ふつうと違う」
と悩んでらっしゃる方がいるとしたら。
大丈夫です。
得意なことだけやりましょう。
と伝えたいです。
違うことは当たり前です。
でも、周りも自分も未成熟な子供の頃は
「ふつうじゃない」自分を責めるかもしれません。
過去の自分が欲しかったものは
「みんなと同じふつうの自分」
になることじゃなくて、
「違ってもいいよ」という周囲の理解でした。
「あなたは他の子とちょっと違うけど、大丈夫!
私はあなたのこと分かっているからね」
そう言ってくれる理解者が欲しかった。
そうすれば、
偏ったぎこちない自分でも
きっと自信を持って生きられた。
だから、
大丈夫!って言ってあげてください。
ご自分や、お子さんに。
この記事を見て
不快に思われた方、
イメージダウンした方がいらしたらごめんなさい。
読んでくれる方が増えたら
伝えたいことでした。
いじめは犯罪です。
違うことは、罪ではないです。
「ふつう」は幻想です。
得意なことで生きていけばいいんです。
一度だけの人生
楽しみましょう。
最後に、私をとても勇気づけてくれた
ターシャ•テューダーの言葉。






