ココロのことを勉強中!ココです😊


前回、母親への同情があるとわかり、


さらに同情には

可哀想、どうにかしてあげたいという

気持ちと同時に

母親のようになりたくないという

気持ちが隠れていて

そうなりたくないという恐怖が

世の中に対しての恐れに繋がることが

わかりました。


母親の対する同情を

やめたら、もしかすると

恐れがなくなるのか?と思い

この同情をやめるには

どうしたらよいか

考えてみようと思います!



まず、同情とは


相手を哀れみの目(かわいそう)でみていて

どうにかしてあげたいと思うのと同時に

こんな風になりたくないとも

思っている感情です。



同情の中にある

相手をかわいそうで

どうにかしてあげたいと思う気持ち



どうにかしてあげたいという気持ち


↑コレ

実際に

本人がどうにかしたいと思ってるのか?

をみていきたいと思います。



私の母の場合、


人に相手にされなくて

人にバカにされて

人になめられて

友達がいなくて

父に怒られて

世界が狭くて


母自身がそのことを気にして

辛くて心を痛めてるんだよな、、、

どうにかしてあげられないのかな、、

って私が勝手に思ってるわけなんだけど、


これ本当に母自身が

改善したいのかをまず疑ってみる。


例えば

母が友人がいないことを悩んでいるとする。


だけど

その悩みを解決するために

外にでるとか

なにかコミュニケーションのある場に参加するとかそうゆうことをなんにもしていない。

努力しようとしない。

ただ、悩んでるだけ。


結局なにもせず、

行動しないでいるのは、

それでいいと思ってるから。


っとナリ心理学では考えます。

行動しないメリットがあるから、行動しない。


友達作る努力をするより、

行動せず1人で悩んでることを選んでる。


なんのメリットなのか。

楽だから。悩んでる方が楽だから。


本人がそっちを選んでる。

悩みより楽さ。


だから同情する必要ってほんとない。


ただ文句いって、やらない。口だけの人と同じ。

ただ、弱そうにみえるから、助けたくなっちゃう。

そう、相手の弱者戦力だったりする。

それに乗らない。相手を弱い扱いしない。



本人が努力していても、うまくいかず

もがいてるケースももちろんある。


努力してる、行動している相手に対して可哀想とは思うのであれば

それは相手を見下してるのかもしれない。


この人は、やってもできないのだと。


その決めつけをやめる。相手を信頼する。

相手をダイヤ扱いする。



そして同情の中にある恐れ。

これはどこからくるのか。


きっと相手と自分に

境界線を引けてないから

同調してしまって恐れてしまうのだ。



次回は、

母と私の境界線について

考えたいと思います!