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昨日の第7戦を観ている時に、昼間に来た母親からのメールの返事を書いていたのですが、最近母親へのイライラが収まらず、母親の生き方を責めるような、かなり冷たいメールを送りました。
40近い息子に事ある毎にメールをしてくる母親。メールはまだしも、Facebookでもたまにコメントを入れて来たりします。アップした写真なんかを見せてあげよう、遠くに住む兄の様子も分かるし、そんな想いで、アカウントを作ってあげたのですが、最近非常に恥ずかしいコメントを入れられて、慌てて削除したこともありました。
事ある毎に心配し、アドバイスをしてくる母親。子を想う気持ちは理解できるのですが、重いのです。
僕自身、母親に心配されることに、もう嫌気がさしています。
人の心配する前に自分の幸せをしっかり掴んでくれ!!
それが本心です。
他にも色々ありますが、こういうことの積み重ねで、母親に対してずっとイライラを感じていました。
父親との関係で、長年辛い思いをして来た母親。夫婦間で幸せを感じることが出来なかった分、子供の存在に幸せを求め、献身的に、自己犠牲的に子供の世話をすることで自己価値観を保っていたのだと思います。そんな母親に育てられ、自分自身、精神的に大人になり切れなかった面があったと感じます。
そう、ダメな父親と母親が共依存の関係だったように、母親と自分の関係もやはり共依存だったと思います。
あんなダメな父親に辛い目に遭わせられながらも、我慢して僕らを一生懸命育ててくれた。
恐らく20代の内は心から母親に感謝していました。
それが、生き辛さを感じながら日々過ごす内に、苦しさの原因の一つが母親の存在であることに徐々に気が付き始めました。
正しくあることばかり追い求め、自分の感情を押し殺すことを美徳とするような生き方。
それがそのまま僕自身のルールとなって僕を苦しめました。
昨日、改めて感じました。
『母親を悲しませてはいけない』
可哀想な母親を見て育った僕が、このルールに今も強く縛られていることを。
でも、昨日、僕は、自分の感情を優先させました。
親不孝かも知れない。
母親を深く悲しませることになるかも知れない。
それでも自分が感じていることをそのまま母親にぶつけました。
正しさも大事。
親も大事。
だけど、もう自分の感情を無視することはしたくない。
そう思って、いつも飲み込んでいた感情をそのままメールでぶつけてしまいました。
このことが良かったのか、後で後悔することになるのか、まだ分かりません。
でも、自分の感情を優先するって、もしかしたらこういうことなのかなって、損をするってこういうことなんだろうなと、初めて感じました。