こんばんは、琥珀 楓です。
今回は「子どもの想像力を潰してはいけない」についてつらつら書こうと思います。
ブログを開始した理由を以前投稿しました。
私は国語の授業が大の苦手でした。
というか嫌いでした。
でも実のところ小学校三年生までは大好きでした。
なぜ大好きから嫌いになったのか…
結論から言うと、先生に意見を否定されたということがきっかけですね。
小学校四年生から担任が変わりました。
そこからです。
小学校の国語の授業って日本語の文法や漢字を覚えたりする他に、物語を読んだりして考えたりする。
物語においては、この時の主人公はどんな気持ちだったのでしょう?とか、作者はどんな気持ちだったのでしょう?とか、そんな感じでしたよね。
そういった問いかけに対して発言した意見が否定されたのです。
幼い頃の経験なので記憶が曖昧かもしれませんが、「そうじゃないと思う」的な言葉を言われた覚えがあります。
その時かなりショックを受けたのですよ、私。
それまでは手をどんどん挙げて沢山考えを発言していました。
三年生までの先生はたとえ違っていたとしても、「そういう考えもあるね」と否定するようなことは一切言いませんでした。
自分としても明らかにおかしな答えをした覚えもありません、多分…。
結局、そこがきっかけで自分の発言することが間違っているかもしれないと思い始め、一切挙手をしなくなりました。
国語以外の授業も含めて全部。
挙げ句の果てには担任には「これも分からないの?」なんて言われたりするようになりました。
今思えば分からないんじゃない、手を挙げるのが怖いんだって。
子どもの頃なんてうまく感情の説明もできない。
そして間違うことに対しての恐怖がどんどん大きくなっていきました。
その後は年齢を重ねるに連れて「主人公や作者の気持ちなんて正解はないはずだ」「そもそもそんなことを聞く質問すら愚問だ」とやさぐれてしまいました、泣。
国語の楽しさが消えて、模範回答とは…とそう言う考えをするようになりました。
それでも間違っていることが多かったのだけど、笑。
何が言いたいかと言うと、私は子どもの頃の想像力を否定してはいけないと思うのです。
あからさまに倫理に反しているような、そういった発想であった場合とかは別ですよ。
それこそ先生の力が必要になってくるのではないでしょうか?
どうしてそう言う考えに至ったのかとか、その子の考えに一つ一つ向き合う。
たとえ模範回答とは違ったとしても一旦は受け入れるということをしたほうがいいと思うんですよね。
今の時代の授業の在り方はうん十年前の私の時代とはかなり違うとは思うのですが。
子どもの視点や発想力、想像力って本当にすごいって思うんですよね。
それを摘んでしまうと咲くものも咲かなくなってしまうと思う(私が咲くものを持っていたかと言われるとそうじゃなかったけれども、泣)。
自分の感じたことはさて置き、心の声を聞かなくなり、誰かの回答目線で物事を考えたりするようになる。
それって可能性を潰していると思うんです。
子どもって繊細だし、ほんの僅かな変化に対してかなり敏感だと思うのです。
大人が思っているよりずっと。
だからこそ色々な発想力、想像力があるんだと思う。
公園とかで遊んでいる子どもたちを見ているとそう思うのです。
この子達の未来は無限に広がっていると。
だから子どもの発想力を潰してはいけないと。
熱く語ってしまいましたが、私がただ単純に打たれ弱い性格だったのかもしれません。
ただ単に国語のセンスがなかったのかもしれません。
