今日は、1月17日。阪神大震災から20年目の日です。

前にも書きましたが(→以前の記事 )、20年前のこの日、私達家族は兵庫県西宮市に住んでいました。

何回もテレビに写った真横にひしゃげた阪神高速。

いつもなら、夫はその時間、ちょうどそこを通って出勤でした。

その日に限って出勤時間が遅く、運よく難を逃れました。

結果的にはその日は出勤することができず、小さい子ども2人を抱えて私一人にならず、助かりました。

当時、会社の社宅に住んでいました。

下の娘は11ヵ月でした。

最初のうちは、電話も通じていて、通りすがりの外国の方に、家電を貸してあげたりもできました。

実家にも連絡しましたが、そのうち、一切不通になりました。

近所で45度に傾いたお家があって、ボヤが出ていたのをご近所の人たちとバケツリレーで消したりもしました。

近くのお知り合いの家は、車の上にお隣の家が潰れてのしかかり、車を動かすことができませんでした。

防衛本能が働いたのか、その日は、次の日3才の誕生日を迎える元気な息子も、娘も、鳴き声ひとつ出さず、昼過ぎてもひたすら眠っていたのが不思議でした。

道路二筋向こうには、後に救援物資を積んだ自衛隊のヘリコプターなどが来る大きな体育館がありましたが、子ども達も小さかったので京都の実家に避難することにしました。

(ちなみに京都の実家では、揺れも少なく、兵庫県=地震など起こらないという思い込みから、ニュースを見ていても、関西でこんななら、関東はもっとひどいだろうと、関東に住んでいた弟一家の心配をしていたようです。)

夫は会社もあるので、西宮の家に戻りましたが、瓦が落ち、窓ガラスも割れ、壁も破れ、という状態(→全壊の認定でした)の家でしばらく暮らしていました。

鉄道は阪急西宮北口という駅までは、比較的早く復旧しましたので、駅から近くはなかったですが、掃除などに歩いて何度も通い、仮設住宅の話が出た頃、大阪の豊中市に借家を探して移りました。

片づけの行き帰りに、1階部分が丸々潰れ、2階部分が1階の高さになっている家、コンクリートの屋上が道路に競りだして突き刺さっているような家を目の当たりにして、テレビの映像で見るのとは違う本物の恐ろしさをまざまざと感じたものでした。

震災当日は夜に、おにぎりが1個配られたそうです。
食料などは2、3日分用意できていれば充分かと思います。

大事なことはとにかく命を守ること。

背の高い家具などは固定し、落ちてくるようなものを上に絶対に置かない。
そんな当たり前のことも、今日の機会にもう一度見直してみたいです。

神戸市では今日を前に、
「姿勢を低く、頭を守り、じっとする。」
を合言葉に、各自が自発的に行動し、自分の身を自身で守ろう、という避難訓練も行われたそうです。

今一度、回りをを見渡して、防災につとめたいですね。