東日本大震災から、もう14年。


今もまだ、震災が起きる前には戻ってはいないし…

失ったものは帰ってこないという事実がそこにはあります。

けれど、前を向いて進んでいる。


家族が宮城県にいる私は、肌でそう感じる今日までの日々です。


私の母の故郷は、宮城県登米市。

内陸の米どころであり、長閑な場所です。

小さい頃は、夏休みになると祖母の家にしばらく滞在し、朝には畑に野菜をとりに行き…

昼には隣にある養豚場で子豚達と遊び…

夜はお仏壇のある広い部屋で、少し怖いと思いながらもおばあちゃんと寝るzzz

そんな幼少期を過ごしていました。


そして、そんな夏休みの中…

親戚がいる女川へ行くこともしばしば。

親戚は、帆立の養殖業をメインに営み…

遊びに行けば、新鮮な魚介が沢山の食べられる楽しい場所と記憶していたし、大人になってからは帆立や鮑を送ってくれる有難い親戚の住む場所と思っていました。


私にとって宮城県は、沢山の思い出と親戚の住む大切な温かい場所です。


2011.3.11


虫の知らせか…

仕事終わりに一人暮らしする家でなく、母や叔母の住む家へ帰宅。

その日に東日本大震災が起こりました。

体感したことのない長い揺れに錯綜する情報。

宮城県を震源とする地震との情報にパニックになり、慌てて宮城に住む叔母に連絡をとろうとしたことを覚えています。


叔母と連絡はその日のうちに取れたものの、海沿いの親族には連絡が取れず…

情報を受け取れたのは、数日後…

登米市の母の実家は、壁に亀裂が入っただけで無事。近所の身内も無事。

女川の身内は…

家と仕事場、養殖筏は全て流され…

しかし、奇跡的に親戚のおばあさんも含めて家族は助かりました。


しかし、近しい人の中に亡くなった方ももちろん居て…

思い出の場所が一瞬にして無くなる虚無感と、また会えると思っていた人が奪われる恐怖をニュースを見る度に感じていた日々でした。

私に出来ることは何?無力感に苛まれる中、

目にしたのは、「SHOW YOUR HEART」の活動でした。

GACKTさんのファンだった私は、2011年3月31日、新宿の街頭募金活動に参加しました。

その時に目にしたのが、今の夫。

川﨑麻世。


お世辞にも良いイメージでは無かった私にとっては、とても意外で…

だけれども、その日からブログを見始めると震災が起きた当初から何か出来ないか?と様々なことを呼びかけていました。

そして、被災地にも何度も足を運んでくれていた…


いつかまた出逢うことがあったら、ちゃんと御礼を伝えたい。


私にとっては、大切な場所を襲った恐ろしい震災。

そして、そのことをきっかけに知った今の夫のこと。


不思議なご縁です。


震災から14年。


改めて色々と考えます。

どこでいつ起きるかわからない自然の脅威。


そんな時に人は、人の本質を見るのかもしれません。


いくら偽善と言われても、イメージ戦略と言われても…

何もしないで見ていては、何も動かない。

その人がいくら悪い人だとしても、その時には救われた人がいる。


その面をだけを見れば、何もせずに批判する人より私は何倍も素敵なことだと思う。


あの時、声をあげて行動して下さった皆さんに本当に感謝しています。


そして、震災により命を落とした多くの皆さんのご冥福をお祈りします。


また忘れてはいけないのが…

救助や復興にあたり、命を落とした方々、風評被害により心を痛め亡くなった方々、全ての方々のご冥福をお祈りします。


今、自分に出来ることを全力で。

目の前のことに一生懸命になるだけでいい。

そしてほんの少しだけ、余裕があるがあるのなら

救いを求めているだれかのために。


明日が必ず来るとは限らないのだから。

限りある生命に感謝します。


私の今日は、誰かの本当に生きたかった大切な1日。


今日も笑顔の輪が広がりますように…飛び出すハート