*ともみんちへようこそ*
こんにちは
ともみんです。
うちにはまもなく18歳になる長男がいる。
生まれたのが18年前…
表向きは
“自立させることが親の役目。
だから、
親がいなくても
生活していけるように
いろんなことを経験させてきた”
なんだけれど
実際はちょっと違う。
子どものために…
なんてわたしは
思っていなかった気がしている。
生まれたばかりの頃は
“早く首が座って欲しい”と思った。
抱っこがしんどいから、
自分で自分の首を支えて欲しかった。
赤ちゃんの頃は
“早くおしゃべりできたらいいのに”と思った。
どうして欲しいのか、わからないのがもどかしいから、
自分で自分のことを
伝えて欲しかった。
ねんね、ハイハイの時期には
“早く歩けるようになったらいいのに”と思った。
抱っこがしんどいから
自分で歩いて移動して欲しかった。
2歳頃は
“早く自分で自分の靴を履けるようになってほしい”と思った。
かがんで靴を履かせるのが面倒だから
自分で履いて欲しかった。
3歳頃には
“早く自分で文字が読めるようになってほしい”と
思った。
絵本を読んで読んで、と言われて
読むのが面倒だから
自分で読んで欲しかった。
5歳頃には
“早く家事ができるようになってほしい”と
思った。
わたし一人でするのは大変だから手伝ってほしい。一人前の戦力になってほしかった。
小学生になると
送り迎えが不要になり、
なんで快適なんだ!!と思った。
時間に縛られ、付き添うのは大変だから
自分で出かけていき、帰って来れるようになってほしかった。
早く一人で寝られるようになってほしいと
思っていた。
わたしが一人時間を満喫したいから。
そんな風に
長男が
小さな頃は
早く手が離れて
自分が楽になりたい!!
といつもいつも思っていた。
いろんなことができるようになると
自分が楽になるから
成長して欲しい
という自分本位。
そして、
できることが増えると
うれしそうだったし、
わたしの鼻も高くなった❤️
ともみんちの子はすごいね!!って
褒められてうれしかった。
どんどんできることが増え、
やってあげないといけないことは
もう、なくなったと思う。
今は
お金や生活の場所は
提供しているし、
大きな決断のときに
“いいね!”と後押しはするけれど、
それは“親がやりたいから”であって、
親がやらなくなっても、
きっと大丈夫だと思う。
自分で制度を調べ、
支援を求め、
どうにかして生きていくと思う。
親以外に
甘えられる人がいるか?という
不安要素があるだけで
あとは
なんの心配も要らない、
と、断言できてしまう。
そうなったら
うれしいはずなのに
めちゃくちゃ寂しい。
あんなに手を離したいと思っていたのに
あんなに自立して欲しいと思っていたのに
“何かさせてほしい”と
離れていく長男に
すがるような感覚が
わたしの中にある。
本当に勝手だ。
“〇〇しようか?”なんて今更言っても
“自分でできるからいいわ”と
言われてしまう始末。
寂しい。
でも、
思うの…。
“自立していく”のが
わかるから寂しい。
“自立していけない”なら
心配になる。
だから、
この寂しさは
よろこびを内包したもの。
こんな寂しさを
抱けることが
よろこびそのもの。
もっと甘えさせればよかった、
もっと手を繋げばよかった、
もっとやってあげればよかった、
そんな後悔は
当然ある。
でも、
きっとー
親っていう生き物は
どうなっても
どうしても
後悔する生き物なのだと思う。
そして
どこまでも
内面は身勝手。
だって
自立してきた長男を
“わたしの作品”のように感じ、
誇らしく思うのだから。
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