*ともみんちへようこそ*
こんにちは
ともみんです。
夜な夜な絵を描いていました。
“うさぎうんこ”
描くのが楽しい。
本当はじっくりゆっくり絵の具で描きたい。
タイトルの話。
子どもが自分の作品のように
思う時ー
ある。
わたしの理想は“無関係”だと
切り離して捉えられること。
でも、なかなか難しい。
例えば
子どもが世間で言われるような
・偏差値の高い学校
・部活での優秀な成績
に該当すると…
自分のことじゃないのに
鼻高々〜な気分になる。
なのに、
鼻高々〜な人を見ると
“バカじゃない?自分じゃないのに!”って
非難したくなる。
我が子の方が
偏差値の高い学校に通っていると
いうだけで勝ったような
気持ちにもなる。
自分も
子どもが自分の作品のように感じる時があるのに
子供を自分の作品のように感じている人を
「バカじゃない?」と非難する
そんな自分の中の不協和音に
つらくなる。
わたしは
我が子に対しても
よその子に対しても
“その子らしく生き生きしていること”
が1番だと思っている。
だから、
成績は関係ない。
実績はどうでもいい。
その子の
内側から
キラキラ〜が出ていて
真っ直ぐな光が見える状態であることが
1番。
そういう道を選べているとき、
“よかったねえ🥲”と
心から言える。
(とは言うものの、曇っていたりしてもOK。
それも一つの通過点。経験だから。
それぞれの歩んだ道がベストな道だから、
いいも悪いもないとも思う。ハラハラも心配もするけど)
だけど
“世間の評価”を意識した
途端に
自分の中の感覚が
うぎゅーーーーーーっと
苦しくなり、
負けず嫌い、マウント、嫉妬が
芽生えるのだ。
“世間の評価”というものさしが
出てきた途端に
“我が子は自分の作品”という
捉え方になる。
自分が世間からどう見られるか?が
気になって仕方なくなる。
わたしから
“世間の評価”というものさしが
なくなっている時は
我が子であっても
自分とは別の人間で
その子の道を歩いている、
という感覚であり、
どんな道にいても
“あなたらしくていいねぇ”と
善悪、上下のジャッジなく
見ることができるのだ。
その先が楽しみでしかない。
自分と子どもを切り離して
ドラマを見ているような気分で
展開を見れる。
ハラハラしつつも
否定も肯定もなく見ることができる。
ふしぎ。
つまりー
“世間のものさし”という視点が
いつもわたしを苦しめる。
わたしを暴走させる。
“わたしの道”それだけを
意識して、足元を見る時
選択は
全部、いいねぇ〜になる。
マウント取りたくなったり、
自慢したくなる時は
“世間の評価”でものごとをみているとき!
これ、大事な気づきだから
備忘録として
書いておく!
AIに図にしてもらった❤️
7回目の妊娠記録はこちら

