*ともみんちへようこそ*
こんにちは
ともみんです。
うまく言葉にできる自信はないのだけれど、
今、
思っていることを
書いてみようと思う。
ヘビーな内容なので
閲覧⚠️注意です。
小さい頃から自分のことが嫌いで
なんでこんな自分なんだろう。
変わりたい、変わりたいと思って
30年以上。
子どもを産んでからも
自分のことが嫌で
「こんなわたしが親だってかわいそう」と
子どもたちに対して思っていたから、
「子どものために死ねない」なんて
思ったこともなかった。
「わたしがいない方がのびのび育っていいかも」
と思っていたし。
(なのに3人も産んだのは…
子どもを産むことでわたしに価値がつくような気持ちだった…)
自分の顔も性格も容姿も残念だと思っていたわたしにとっては、
“自分のことが好き”なんて言う人がいるなんて
信じられなかったし、
そういう人は自惚れ者で軽蔑の眼差しを送る対象だった。
そんなわたしが
“こんな自分でもいいかも”と
少しずつ思うようになってきたのは
2021年頃か。
いつ死んでもいいと思っていたのに
“もうちょい生きてみてもいいな”と
思ったのが
2022年の誕生日だったと思う。
自分にしかできない仕事を見つけ、
自分だからできることに
やりがいを感じていた。
自分が描くことば、絵が好きだと感じていた。
描いているときのきもちよさ、
言葉が湧き上がる時の興奮に
夢中になれた。
“わたしはわたしでいい”と
少し思えるようになった。
家族の関係もよく、
子どもたちの友達も家に来て、
毎日がワイワイガヤガヤ…
すごく楽しかった2022年。
そんな頃、次女も生まれて、
“わたしの人生たのしいかも!!”と
思い始めていた。
調子に乗っていたのかもしれない。
勘違いしていたのかもしれない。
ウハウハだった。
ただ…だんだん雲行きが怪しくなってきたのは
次女が1歳を迎えた頃から。
赤ちゃん期は
自分のやりたいことがある程度できていたけれど
成長とともに
こどものペースに合わせた生活に。
あきらめられるまで1年半。
1年半経つと、
食べたいものより
食べられるものを選ぶようになった。
“何も自分らしくない”と
思うと、モヤモヤした。
“肩書きも収入も名誉も…
何にもなくても
自分にOKが出せるようになれれば
このモヤモヤは消えるのかも”
そう思い、
何にもない自分に
なろうとしたのだけれど
今思えば、
何にもない自分になるつもりはなかったのに
なっちゃった、その言い訳
だったのかもしれない。
“自分が何ものでもなくなることが
こわかった”
さらに
2024年の夏、
予期せぬ妊娠が発覚してからは
懺悔の気持ちを抱きながら過ごした。
子どもたちとの関係も悪化して、
仕事もできなくなり(やらなくなり)
誇れるものが
本当に何にもなくなった…
と感じていた。
それでも、それでいいと思っていたつもらやだけれど
内心は穏やかではなく…
“いつか、いつかは絶対に
すごい人になる!!!”と
思って、耐えた。
2025年の春、
三女が生まれてから…
生活は
一気に大変になった。
“今日を終えられればよい”を
目標に
毎日を過ごした。
2歳児と0歳児を
みながら
7人分の家事をする生活…。
のびのび育てたいと思っていたのに
2歳児にキツくあたることも
出てきた。
5人は
大変だと言いつつも
手を抜いて、
肝っ玉かあちゃんのような
おおらかさを持ちたかった。
でも、わたしは余裕がなくて、
がんばらなくてもいいのに
がんばってしまい、
自分の首も絞めていた。
メイクをするのは週1回くらい。
服の組み合わせを考えるのが好きだった
はずなのに…
自分でもビミョーだと
思うようなコーディネート。
帽子やタイなど
アクセサリーをつけるゆとりなし。
顔は疲れ、
歩き方も姿勢も
疲れが隠せない自分。
ブスがさらにブスに。
エネルギッシュということばと
反対側にいたと思う。
髪型は個性的で楽しいものに
していたはずなのに
伸び放題のまとまらない状態に。
“わたし”が
消えていった。
自分がダサくて
嫌だった。
参観に行くと
きれいに髪を整えたり、
カラーを入れて
可愛くしている人を見て
自分がみじめになった。
何年も同じ服を着ているわたし。
わたし、ださい。
わたしのこと、
誰もみないで…
そんな気持ちだった。
自分から“イキイキさ”が
発せられないのが
すごく嫌だった。
そして、
気付けば顔はますます老化。
脳も老化。
世の中の変化にもついていけない。
ダサい自分。
2021年より前の自分と同じ。
ダサい自分。
おしゃれでもないのに
変な組み合わせの服を着て
しわしわの手で
子供と手を繋ぎ
顔はただ疲れている、笑っていない。
ちょいとのことで
子どもに冷たく当たる…。
こんな自分嫌。
そう思うのにー
どこかでそんなわたしを
“いいねいいね!”と
飲み込まれたわたしに言うもう1人の
わたしもいるのだ。
自分から生気を失うほど
子どもにそそぎ、
毎日に没頭した…
そんな自分が
ちょっと愛おしいなぁと
思うわたしがいる。
飲み込まれてOK!
ダサくなるしかなかった
そんな生き方もOK!
そして、
いつかこの日を懐かしく思うような
未来が来るだろうと
思っているわたしがいる。
それがわたしらしさ。
子育てをしていても
自分を見失うことなく、
自分らしくイキイキと
過ごせる人、
になりたかったけれど、
白旗。降参。
わたしは
そんなかっこいいタイプではなくて
ダサダサタイプにしか
なれない。
自由に自分の気の向くままに
生きていたいと思うわたしが
娘たちのことを最優先し、
部活帰りの成長期に
ご飯作りをしっかりつくり、
1日を過ごしていた、
…どんなにすごいエネルギーを
向けていたということか。
よくやったわよ。
労う気持ちも
湧いてくる。
つらかったな。
慰める気持ちも
湧いてくる。
だから、
同じように自分を嫌悪し
消していた20〜30代のころと
少し、感覚は違う。
「自分を犠牲にする子育ては
だれもしあわせにならない」
それはそう。
でも、
こうも言える
自分を犠牲にして
自分を消す時間が
わたしの人生の中には
あった…
その自分がいなくなるような感覚、
自分が嫌になる感覚で
自分を呪ってもいた。
そんな闇のような
時間も
“人生”という大きなキャンパスの
中では
ひとつの彩りになる。
だから、
この
病んだような時間、
自己犠牲し、自己嫌悪し、自己否定していた
この数年も…
丸ごと
大切に愛おしいと
思い始めている。
何もできなかった、
と感じるような
こんな時間を
宝物で美しいと思う。
この感覚が
少し芽生えていたので
言葉にしてみた。
なんだかじわっとうれしい。
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