*ともみんちへようこそ*
こんにちは
ともみんです。
わたしがすきなインフルエンサー。
さやちゃんの
ブログの中にあった言葉に
ものすごく感動。
感動、という言葉が
適切なのか?
いや、ちょい違うか…。
静かに自分の中で
響く。
まるで
竹の奥で水滴の落ちる音が
微かに聴こえた感覚。
消えないうちにー
音の余韻のあるうちに
自分のblogにも
残しておきたい!思い、
書くことにした。
一回、休止。
するつもりでもできない、抜けない。
「もう頑張らなくてもいい」を何万回唱えたって、
気持ちよく「何もしない」ができない。
「何もしない」は実行するけれど、
湧き出る罪悪感の分は、
自分にかけられなかたった愛情。
いいんだよ、いいんだよ、
それでいいんだよって、
呪い殺すほどに自分に
声かけしてあげないと許されない。
休むこと、何もしないということを、
アスリート並みにやらなくちゃ
次のために復活できない。
そんな時のための呪文は、
本当は、やらなきゃいけないとこなんて何もない。
呪い殺すほどに自分に
声かけしてあげないと
アスリート並みにやらなくちゃ
次のために復活できない。
これらの言葉の奥ー。
自分の内側の声を
すごくすごく大切にして…
10年以上経つ、
尊敬に尊敬を重ねるさやちゃんでさえ、
ここまで自分に粘り強く
声かけして
やっと休めている…
休むこと、止まることに
ここまで全力になっているなんて…。
もっと簡単にやっているのかと
思っていた。(ごめんなさい)
わたしは
どうだろう??
ここまでしっかり粘り強く、
自分を休ませようと
がんばったこと、あるか!?
即答できる。
ない…
休めない、止まれない理由ばかり並べて
何もしないーができないのを
“仕方ない”と
あきらめている。
子どもがいるからー
まだ赤ちゃんだからー
家族がいるからー
おかねもちじゃないしー
頼れる人いないしー
受験生かかえているしー
言い訳ばかり並べて
休みたいのに!
とまりたいの!
疲れたの!!
って、
文句ばっかり言っている。
文句ばっかり。
湧き出る罪悪感の分は、
自分にかけられなかたった愛情
それならば
わたしは
自分に愛情をかけようとさえ
していなかった、
ということでもある。
自分に愛情をかけよう、
と
口で言うばかりで
“でも今は無理だもんなー”と
やろうとしていなかったんだと
このさやちゃんの言葉が
教えてくれた。
そうか、
ここまでしっかり
自分に注ぐのか。
呪いの言葉を。
呪い、洗脳。
…この1年半ー
自分を蔑ろにしてきている。
不意の妊娠がきっかけで
意図して、自分を痛めつけている。
自分を痛めつけることで
罪悪感や過去の失敗、汚点を
ゆるしてもらえるかも?と
淡い期待を抱いている自覚もある。
いや、そんなんじゃない、
自分を痛めつけている姿を見せることで
“こんなに頑張っているんだから
いい加減、ゆるせ!認めろ!!”と
押し付けている。自覚ありよ。
自分が蒔いた種だからーと、
十字架を背負い、
自分を痛めつけることで
責められないようにー
戒めている。
でも、正直、
状況は改善するどころか
ますます
自分を追い込むことになっていて
今日も
オッコトヌシのように
不満おばけになっていた。
きっとー本音は
もう、自分自身に
もう責められたくないんだ。
毎日毎日、
自分に罰を与えるかのように
苦労しないといけない、と
課してきたものを
そっと下ろしたい。
わたしが
自分をー
過去の自分を
抱きしめて、
ゆるしたい。
不器用にも一生懸命に生きてきた
過去の自分を
ゆるして、解放してあげたい。
もういいよって。
がんばってきたよ。
自分を正当化するわけでもなくー
ただ
認めたい。
ゆるしたい。
呪いの言葉を
何百回もかけて
ゆるされたーと
自覚できるまで
呪いの言葉をかける。
そして、
休ませたい。。。
わたし、
17年間、子育てを
がんばってきました。
がんばりかたを間違えて
子どもたちを
傷つけてしまった日もたくさんあります。
そんな自分が嫌いで
消したい過去で
でも消えなくて
消せなくて…
謝っても、元には戻れなくて…
罪悪感から
自分を責めて…
どうにかしようとしても
これ以上責められたくなくて
強がって…
そんな自分が嫌で
過去を取り戻そうと
ゆるされようと子どもに尽くそうとして
いいお母さんになろうとして…
でも、
キャパオーバーで…
オッコトヌシになってしまい…
また、反省して…
そんな17年半。
不器用にも一生懸命に
未来を築こうとした、自分。
反省するだけでなく
よくやってきたよ、
がんばったね。
不安だったね。
怖かったね。
そんな言葉を
呪いの言葉のように
何度も何度も
かけよう。
今、
ツーンと
涙が流れている。
もう、痛めつけなくてもいい。
笑っていい。

